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【ラグビー】ようやくつかんだ最高峰の舞台。
堀江翔太、26歳の挑戦 (3ページ目)

  • 向風見也●文 text by Mukai Fumiya
  • 井田新輔●写真 photo by Ida Shinsuke

 すると、次のような言葉が返ってきた。

「フッカーは、違う選手と2年契約を交わした。君のチャンスは少なくなるだろう」

 あまりにも残酷な現実に、声を上げて泣いた。それでも最高峰の舞台でラグビーをする夢はあきらめきれなかった。

 日本に戻った堀江は、再び前を向いた。

「夢を叶えたい若者に足かせをつけるのはいいことではない。むしろ、それを応援したい」

 そうした三洋電機の飯島均監督(当時)の言葉にも支えられ、より強い思いで世界を目指すようになった。

「みんなが応援してくれて嬉しい。頑張らなアカンと思います」

 再びトップリーグでプレイすることとなったが、当初は日本代表経験者でもある山本貢(現・キャノン)の控えに回ることが多かった。相手が疲れてくるゲーム終盤に堀江の突破力を生かしたいという飯島監督の狙いもあったが、試合を重ねるごとに存在感は増していった。「だんだんと堀江が、日本ラグビー界で無視できない存在になってきた」と指揮官は語った。堀江はそのポテンシャルが買われ、控え時代から日本代表入りしていた。

 その勢いはとどまらず、2010年度はトップリーグのMVPを獲得。周りは「当然」と拍手を送ったが、本人だけが驚きを隠せなかった。

「誰にも負けないつもりでやってきたのが、MVPにつながったと思います」

 何とかひねり出した受賞のあいさつがこれだった。

 ちなみにこの年、山田は堀江と同じチームでプレイすることとなるのだが、あらためて堀江の「負けず嫌い」を再認識したという。

「連戦が続くと、堀江をメンバーから外すことがあるんです。きっと休養に近い感じだったと思うのですが、それでもアイツはショックを受けていた」

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