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【ラグビー】ようやくつかんだ最高峰の舞台。
堀江翔太、26歳の挑戦 (2ページ目)

  • 向風見也●文 text by Mukai Fumiya
  • 井田新輔●写真 photo by Ida Shinsuke

 だが、厳しい現実が待っていた。元々、ラグビー王国であるニュージーランドの選手は、地元への帰属意識が強いと言われている。ましてワールドカップでなかなか勝てない国の選手にパスを送る者など、ほとんどいなかった。それでも堀江は体を張って守り、積極的にこぼれ球を拾った。そうして徐々に信頼を勝ち取り、新しい働き場所にも慣れていった。しかし、秋に一時帰国し、トップリーグの三洋電機(のちにパナソニック)でプレイすることとなった。理由は、秋になると試合経験を積むのが難しくなるためだった。本人の説明はこうだ。

「カンタベリー州では、NPCに出るA代表があり、その下にB代表、さらにその下にメトロ代表というのがあるんです。僕はメトロ代表というところにいたんですけど、そこは試合数が少なかったんです」

 じつは三洋電機とはプロ契約を結んでいた。普通のサラリーマンより少し多い報酬は、大学の後輩たちの食事代に使った。そんな優しい一面を持つ堀江だが、その一方で強烈な自負心を持っている。それを見抜いていたのが、同学年でのちにパナソニックでチームメイトとなる慶應大OBの山田章仁である。

「負けず嫌いで、それを内に秘める感じはあるかもしれないですね。でも、向こう(NZ)のヤツに対しても『イケる』と話していました」

 当時から堀江は、スーパー14に憧れていた。まずはその前段階としてNPCの出場を目指していた。09年春に再びニュージーランドへと渡り、NPCカンタベリー州代表のコーチ陣から「アカデミーにいるフッカー4人中2番手」の高評価を受けた。とはいえ、堀江は不安を隠せなかった。当時、ニュージーランドに留学していた山田は、一緒に食事をした際、本人からこんな言葉を聞いた。

「やっぱコーチは、ずっとこっち(ニュージーランド)におるヤツを使いたいよな」

 事実、シーズンが終わっても、カンタベリー州代表入りの連絡は一向に来なかった。もちろん、吉報を待ちたい。とはいえ、この先のこともあるのでダメならダメで早めに教えてほしい......。しびれを切らした堀江は、ついに協会の事務所を訪れ、直談判した。

「いいのか、アカンのか、はっきり言ってください」

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