2012.12.05

【ラグビー】ようやくつかんだ最高峰の舞台。
堀江翔太、26歳の挑戦

  • 向風見也●文 text by Mukai Fumiya
  • 井田新輔●写真 photo by Ida Shinsuke

チームメイトの田中史朗とともに、スーパー15への参戦が決まった堀江翔太 日本ラグビー界に明るいニュースが続いている。パナソニックの田中史朗が日本人初のスーパー15(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3カ国による南半球最高峰のリーグ)の参加を決めたが、直後、チームメイトの堀江翔太の参戦も決まった。

 田中が俊敏性とパススキルが必要とされるスクラムハーフなのに対し、堀江は器用さとフィジカルの強さが求められるフッカーでの挑戦となる。運動量を活かしたスタイルを提唱するエディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチが日本人のパワー不足を指摘するように、外国人選手に比べて日本人フォワード(フッカーを含めた複数ポジションの総称)はフィジカルに劣るとされている。それだけに今回の挑戦は、関係者の間でも話題となった。

 堀江にとって初の海外挑戦は、帝京大のキャプテンとしてシーズンを終えた2008年の2月、22歳の時だった。知人の紹介もあってニュージーランドにあるカンタベリー協会のアカデミーに参加。ここでの活躍が認められれば、地方代表選手権・NPC(現在はITMカップ)に出場することができ、さらにはスーパー14(のちのスーパー15)への道がつながる。

 当時、ナンバーエイトだった堀江は、突破力が長所の選手だった。相手の出方やラインの並び方を観察し、相手のいないコースを見定める。さらにタックラーたちを強靭な体躯で跳ね飛ばす。この視野の広さとボディバランスを全国大会とは無縁だった島本高校(大阪府)時代から磨いていた。もちろん、大学卒業時にはトップリーグの多くのクラブから誘いを受けていた。それでも「海外に挑戦するなら若いうちに」と思い、旅立った。

 ニュージーランドで堀江はフッカーに転向した。身長180センチの堀江だが、学生時代まで務めていたナンバーエイトは、世界はおろか日本国内でも小さい部類に入ってしまう。そこでより高いレベルの試合に参戦するために、コンバートを決心した。体のぶつかり合いが多いうえ、最前列中央で組むスクラムでは両隣の選手との細かな情報のやり取りが欠かせない。英語圏に住んだことのなかったため、苦労も予想された。それでも堀江は、フッカーとして活路を見い出そうとした。