NBA伝説の名選手:シャキール・オニール 支配的な存在感とユーモアセンスで人々を魅了した歴代屈指の重量級センター (2ページ目)
【レイカーズへの移籍で黄金時代に】
NBAデビューを果たしたマジック時代も1年目から存在感を発揮した photo by Getty Images すると1996年夏にフリーエージェント(FA)となったシャックは、レイカーズと巨額契約を結んで"ハリウッドの街"ロサンゼルスへ移籍。マジック時代からCM契約や音楽活動(ラップアルバムを複数発売)、映画にもいくつか主演し、エンターテイナーとしても活躍していたのだから、理に適った選択ではあった。
もっとも、レイカーズはシャックに加えて同時期に入団したコービー・ブライアントが頭角を現したとはいえ、肝心のプレーオフでは3年連続で勝ちきれず。1998年と1999年は2年連続のスイープで姿を消していた。
その流れを断ち切ったのが、ブルズで2度の3連覇を達成した名将フィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)の指揮官就任だった。リーグ最高級のビッグマンを最大限に生かす戦術"トライアングル・オフェンス"で絶対的な中心選手となったシャックは、1999-2000シーズンにキャリアハイの平均40.0分、29.7得点、3.8アシストに13.6リバウンド、3.0ブロックと自己最高のシーズンを送り、チームもリーグトップの67勝15敗(勝率81.7%)を残してシーズンMVPを受賞。
レイカーズはカンファレンス決勝でポートランド・トレイルブレイザーズとの死闘を4勝3敗で制すと、ファイナルではインディアナ・ペイサーズを4勝2敗で倒して王座獲得。シャックはシリーズ平均38.0得点、16.7リバウンド、2.7ブロックを残してファイナルMVPにも輝いた。
NBA最強センター(シャック)とリーグ屈指のオールラウンダー(コービー)が主軸となり、その周囲に有能なロールプレーヤーたちを配置したレイカーズは、2000年から2002年にかけて3連覇を達成。両者はコート上で絶妙なケミストリーを奏で、NBA史上5チーム目の偉業を成し遂げた。
だが、楽観主義者のシャックとストイックなコービーは性格面の相違などもあって何度も不仲が報じられてきた。シャックはコンディショニング面で批判も浴び、一時はスター選手同士の争いということで"スター・ウォーズ"と揶揄されることもあった。
レイカーズは2004年のファイナルでデトロイト・ピストンズに1勝4敗でほぼ完敗後、同年夏にシャックをマイアミ・ヒートへトレード。ヒートでは若手ドウェイン・ウェイドの引き立て役に回りながらもインサイドの中軸としての役割を果たし、2006年の球団初優勝に大きく貢献した。
その後2008年2月にフェニックス・サンズ、翌2009年6月にはクリーブランド・キャバリアーズへトレードで移籍し、2010-11シーズンをボストン・セルティックスで過ごして現役引退を表明した。
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