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NBA伝説の名選手:シャキール・オニール 支配的な存在感とユーモアセンスで人々を魅了した歴代屈指の重量級センター

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

レイカーズで自身初のNBA王座に輝いたシャック photo by Getty Imagesレイカーズで自身初のNBA王座に輝いたシャック photo by Getty Images

NBAレジェンズ連載37:シャキール・オニール

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第37回は、NBA史のなかでも屈指の支配的なビッグマン、シャキール・オニールを紹介する。

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【200cmの13歳の少年がNBAのスターダムへ】

 前身のBAA時代も含めて、約80年の歴史を誇るNBAでは数多くのスーパースターがコート上で活躍してきた。そのうちペイントエリアを牛耳り、"最も支配的だった選手"となると、216㎝・113㎏の体躯で驚異の身体能力を誇ったウィルト・チェンバレン(元サンフランシスコ・ウォリアーズほか)、そして今回紹介する"シャック"ことシャキール・オニールだろう。

 1972年3月6日、シャックは父ジョセフ・トニーと母ルシール・オニールのもと、ニュージャージー州ニューアークで生まれた。父はバスケットボールをプレーしていたが、ドラッグに陥ったこともあって義理の父で軍人のフィリップ・ハリソンが育ての親となった。

 ドイツで暮らしていた13歳の時、シャックはすでに身長200cmを誇っており、バスケットボールのキャンプへ参加した際には、指導に訪れていたルイジアナ・ステイト大学(LSU)のコーチが本物の兵士だと思い込むほど。ただ、シャックの実際の年齢を知ると将来、同大へ進学するように勧誘した。

 シャックはテキサス州サンアントニオのコール高校で平均32得点、26リバウンド、8ブロックという超人的なスタッツをたたき出し、チームを68勝1敗へ導いた。16歳の時点で身長208㎝に達していた男はその後LSUへ進学し、3年間で平均21.6得点、13.5リバウンド、4.6ブロックと猛威を振るった。

 1992年のドラフトでオーランド・マジックから全体1位指名され、NBAのコートに立った男は"シャック・アタック"と恐れられた強烈なボースハンドダンクを武器に相手リングを何度も強襲し、2度もバスケットのゴールポストを破壊。ある試合では壊れたリングが落下する危険なシーンもあった。

 1年目の1992-93シーズンにオールスター出場を飾り、平均23.4得点、13.9リバウンド、3.5ブロックを残して新人王に輝くと、翌1993-94シーズンには長身ガードのアンファニー"ペニー"ハーダウェイ(元マジックほか)が入団して初のプレーオフ進出を果たすと、続く1994-95シーズンには球団創設6年目でNBAファイナル進出。しかし、当時23歳のシャックは未完成で、頂上決戦ではアキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツに4戦全敗(スイープ)で敗れ去った。

「アキームは俺よりも数段上だった。彼はレギュラーシーズンで一度もやらなかったことを、ファイナルでやってきた。そこで俺は、あのレベルへ辿り着くにはもう一段階ステップアップしなきゃいけないと学んだのさ」とシャックは当時の苦い思いを回想している。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで優勝候補へ駆け上がったマジックだったが、1995-96シーズンに転機を迎える。レギュラーシーズンこそ球団史上ベストの60勝22敗(勝率73.2%)を残し、シャック&ペニーのデュオはリーグの将来を担う存在と注目を浴びていたが、プレーオフのカンファレンス決勝ではマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに前年のリベンジを食らい、またもやスイープ敗退を喫した。

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著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

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