NBA伝説の名選手:ビンス・カーター バスケットを楽しみ通した「ダンク王」の衝撃と「NBAキャリア22年」の流儀 (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【驚異のパフォーマンスでスターダムへ】

 1998-99シーズンのNBAは労使交渉におけるロックアウトのため、通常の82試合から50試合の短縮となり、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)が1999年1月に2度目の現役引退を発表。新たな看板選手を求めていたラプターズで、カーターは次第にジョーダン引退後のNBAの救世主のひとりへと評価を高めていく。

 シーズンが始まると、カーターは身体能力を生かしたプレーで存在感を発揮。1試合平均18.3得点、5.7リバウンド、3.0アシスト、1.5ブロックを残して新人王に輝いた。その人間離れした超人的な能力を評して"ハーフマン・ハーフアメイジング"(Half-Man, Half-Amazing)、ビンス(Vince)と狂気(insanity)を掛け合わせた"Vinsanity"(ビンサニティ)といった造語が生まれるなど、その迫力満点なダンクの数々で観客を狂気の世界へと誘った。

 すると2年目の1999-2000シーズンにカーターは平均25.7得点、5.8リバウンド、3.9アシストを残して球団初のオールスターに選出され、チームをプレーオフ進出に導く。翌2000-01シーズンにはプレーオフ1回戦を突破し、アレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズとのカンファレンス準決勝へ。

 最終第7戦までもつれたシリーズは、アイバーソンが第2戦で54得点を奪えば、続く第3戦でカーターが負けじと50得点の大暴れを見せ、第5戦ではアイバーソンがまたもや52得点と豪華スターが競演。最終的に、第7戦で逆転を賭けたジャンプショットを落としたカーター率いるラプターズが惜敗した。第7戦当日、UNCの卒業式へ出席したあとに第7戦へ臨んだことで批判を浴びることもあったカーターだが、自身の決断に後悔はなく、第3戦の50得点ゲームは「キャリアで最も記憶に残っている試合」と話している。

 その後、カーターはラプターズとの関係が悪化したことで2004年12月にニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツへトレード移籍。新天地でジェイソン・キッド(元ダラス・マーベリックスほか)とタッグを組んでプレーオフに3度出場し、オーランド・マジック時代の2010年には自身唯一のカンファレンス決勝を経験。マブス時代の2014年プレーオフ1回戦、第3戦では左コーナーからブザービーターの3ポイントを放り込んで見せ場を作るも、キャリア終盤はロールプレーヤーを務めた。

 2020年3月11日。NBAは新型コロナウイルスの感染拡大を防止すべく、シーズン中断を発表。その日アトランタ・ホークスの一員としてニューヨーク・ニックス戦に臨んでいたカーターは、延長終盤に急遽コートへ戻り、トップ下から"ラストショット"となる鮮やかな3ポイントを放り込み、同年6月に引退を表明した。

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