NBA伝説の名選手:ビンス・カーター バスケットを楽しみ通した「ダンク王」の衝撃と「NBAキャリア22年」の流儀 (3ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【ダンク王としての鮮烈な記憶と長いキャリア】

 カーターを語るうえで欠かせないのが2000年オールスターのスラムダンクコンテストだ。1本目に360度回転の強烈なウインドミルを叩き込んで会場を沸かせると、空中でボールを受け取ったあとにレッグスルーダンク、さらには豪快なダンクを炸裂後に右ヒジでリングにぶら下がるという"エルボーダンク"も披露して文句なしで優勝を果たした。

「あの夜に(優勝)トロフィーを掲げたことが、僕を別人へ変えたんだ。ベスト・オブ・ベストになることができた。その座を勝ち獲ったんだ。それで僕は別人になれたのさ」

 そう回想したカーターは、ウォームアップ中や試合でもハイライトシーンを彩る強烈なダンクを見舞ってきた。さらに2000年夏にはシドニー五輪決勝のフランス代表戦で218㎝のフレデリック・ワイス越しに驚愕の"人間超えダンク"を決めたことで、世界にその名を轟かせた。

 今季レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)がキャリア22年目を迎え、各カテゴリーにおいてリーグ有数のスタッツを残すことが濃厚。同じ22年間NBAでプレーしたカーターが残してきた数字は、かすんで見える可能性があることは否定できない。

 それでも、NBA入団時の巡り合わせとはいえ、カーターは1990、2000、2010、2020という4つの年代でコートに立った稀有な実績がある。ダンク王のイメージが強く残るが、43歳までプレーし続けた男は終盤にメンター役もこなしつつ、キャリア22シーズンでいずれも平均14.6分以上に出場。2015-16シーズンにトワイマン・ストークス・チームメイト賞、2019-20シーズンにはスポーツマンシップ賞と、現役NBA選手たちの投票によって選出されたこのふたつのアウォードこそが、カーターのキャリアにおいて最も重要なのかもしれない。

「毎日バスケットボールの試合をプレーして、楽しんできた。自分でも驚くくらいね。今キャリアを終えて、誰かが『殿堂入りはその仕上げとして完璧にしてくれるものだ』と言った。まさにそのとおりだね」

 殿堂入りが決まって思わず涙したカーターだが、11月2日にラプターズ、2025年1月25日にはネッツで背番号15がそれぞれ永久欠番になる。殿堂入りと永久欠番が、自身のキャリアをさらに輝かしいものにしてくれるに違いない。

【Profile】ビンス・カーター(Vince)/1977年1月26日生まれ、アメリカ・フロリダ州出身。1998年NBAドラフト1巡目5位指名(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)
●NBA所属歴:トロント・プラターズ(1998-99〜2004-05途)―ニュージャージー・ネッツ(2004-05途〜08-09)―オーランド・マジック(2009-10〜10-11途)―フェニックス・サンズ(10-11)―ダラス・マーベリックス(2011-12〜2013-14)―メンフィス・グリズリーズ(2014-15〜2016-17)―サクラメント・キングス(2017-18)―アトランタ・ホークス(2018-19〜2019-20)
●NBA新人王(1999)/NBAスラムダンクコンテスト王(2000)
●五輪代表歴:2000年シドニー五輪(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る