NBA伝説の名選手:ケビン・ジョンソン 1990年代を代表する「KJ」の愛称で親しまれたスピードガード (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【王朝ブルズに挑んだ1993年】

 しかし、プレーオフでは、あと一歩のところで勝てないという状態が続いた。ジョンソンにとって初のプレーオフとなった1989年は、カンファレンス決勝進出を果たすもレイカーズに4連敗。翌年はカンファレンス準決勝でレイカーズに4勝1敗と雪辱を果たしたものの、カンファレンス決勝ではNBAファイナルまであと2勝に迫りながらもブレイザーズとのシリーズを落とした。1991年はジャズ相手に1回戦で、1992年もカンファレンス準決勝でブレイザーズに敗れている。

 そんな状況を打破すべく、サンズは1992年6月17日に1対3のトレードでフィラデルフィア・76ersから、リーグを代表するパワーフォワードのチャールズ・バークリーを獲得。バークリーとジョンソンはワンツーパンチを構成し、ふたりを中心にトム・チェンバース、ダン・マーリー、ダニー・エインジら選手層の厚いチームとなったサンズは、開幕から勢いに乗り、NBA最高成績となる62勝20敗でプレーオフに進出した。

 その原動力となったバークリーは、レギュラーシーズンのMVPに選ばれたが、ジョンソンは鼠径部痛症候群の故障によって49試合しか出場できず、平均16.1点、7.8アシストというサンズ移籍以降最低の数字に終わっている。

 しかしジョンソンは、プレーオフに入ると本来の輝きを取り戻した。第8シードのレイカーズ相手に2連敗からの3連勝で1回戦を突破した際には、最終第5戦で24得点、13アシストを記録した。そして、サンアントニオ・スパーズとのカンファレンス準決勝も4勝2敗で制すると、ソニックスとのカンファレンス決勝ではホームコート・アドバンテージを活かしたことと、第7戦でバークリーが44得点と大爆発したことが決め手となり、ジョンソンは悲願のNBAファイナル進出を果たしたのである。

 NBAファイナルでは3連覇がかかっていたシカゴ・ブルズと対戦したが、サンズはホームコート・アドバンテージを手にしながら、フェニックスでの3試合で1勝もできなかった。

「我々は偉大な相手と対戦することになるだろうとわかっていた。マイケル・ジョーダンは絶頂期にあり、ファイナルで彼と対戦できたのは光栄だった」と言うジョンソンは、再延長にもつれ込む激戦となった第3戦で62分間プレーし、25得点、7リバウンド、9アシストでサンズの勝利に大きく貢献。王手をかけられた第5戦でも25得点、8アシストと活躍しシカゴで2勝を挙げる原動力となった。だが、ホームに戻っての第6戦、残り3.9秒でジョン・パクソンに逆転の3ポイントショットを決められ、98対99で敗戦。NBAチャンピオンになるという夢は叶わなかった。

 ジョンソンは、自身のキャリアで最初で最後となったNBAファイナルを、のちにこう振り返っている。

「あの接戦に勝てなかったのは受け入れがたい。我々は全力を尽くしたが、マイケルのような選手やブルズのようなチームと対戦するならば、わずかな差で勝負が決まるのはわかっていたんだが」

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