河村勇輝のNBA挑戦を可能にさせたのは何か 韓国との連戦で見せた「全力で挑む姿勢」
7月5日、有明アリーナ。パリ五輪に出場するバスケットボール男子日本代表は、五輪出場を逃した若手主体の韓国代表に84-85と僅差で敗れている。第4クォーターの驚異的な追い上げに会場は興奮のるつぼと化したが、勝利には及ばなかった。
「(パリ五輪の初戦で当たる)ドイツに勝つなら足りない。最後、勝てるチャンスはあったけど、足りなかったじゃないですか? みんな、それをわかっている」
試合後の会見でトム・ホーバスヘッドコーチがそう言うと、その横に座っていた河村勇輝(23歳、横浜ビー・コルセアーズ)は2度、3度と頷いていた。
「入りから相手のエネルギーがすごくて、相手のほうが、自分たちのやりたいバスケをしてきました。ヒットファースト(相手よりも先にぶつかる)や、しっかり(ディフェンスに)行くところや、リバウンドも負けていましたし」
チーム最多の23得点を記録した河村はそう言って、口惜しそうに続けた。
「あってはならない状況を作って、やってはいけない試合。ここから学ばないと、無駄になってしまう。日曜日(7月7日)の試合はマインドセットし、自分たちからヒットファーストで、ディフェンスの遂行力を高められるように......」
おそらく河村は、そうやって自らのバスケットを改善させてきたのだろう。敗北を許さない。そうしてバスケに人生をかけているのだ。
パリ五輪後にはNBAに挑戦することになった河村勇輝 photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORTこの記事に関連する写真を見る 河村はNBAメンフィス・グリズリーズとのエグジビット10契約(NBAで定められた契約のひとつ。最低年俸、無保証の条件だが、NBAもしくは傘下の「Gリーグ」でプレーするチャンスが得られる。富永啓生もインディアナ・ペイサーズと契約したばかりで、過去には馬場雄大がダラス・マーベリックスと、渡邊雄太がトロント・ラプターズとの間で契約を結んだ)に合意している。正式サイン後、9月には渡米し、キャンプに参加予定。10月開幕のNBA契約に挑むという。
〈172cmという身長で、2メートル級の選手がごろごろいる舞台に挑戦する〉
その物語にはロマンがあるが、"序章"に辿り着けたのは彼のパーソナリティのおかげだろう。全力で挑む姿勢だ。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。