Bリーグ・広島ドラゴンフライズが成し遂げた「よもや→もしや→まさか」の初優勝 その名は全国区に (2ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka

【ずっと周りの評価を覆したいと思ってやってきた】

CSのMVPに輝いた山崎稜(右)はチームに手応えを感じていた photo by B.LEAGUECSのMVPに輝いた山崎稜(右)はチームに手応えを感じていた photo by B.LEAGUEこの記事に関連する写真を見る

 2020-21シーズン。2部に当たるB2からB1へと昇格を果たしたばかりだった広島は、新型コロナウイルス蔓延の影響でレギュラーシーズンでは通常の60試合の開催ができない環境だったとはいえ、9勝46敗というB1で最低成績に終わっている。そこからわずか3年で頂点に立つなど、どれだけこのチームをひいきにしていたとしても、当時は予見できなかったはずだ。

 今シーズンを見返しても、広島がここまでの偉業を成し遂げるという"匂い"はしていなかった。昨シーズンはCSに初出場を果たし、クオーターファイナルでは千葉ジェッツ相手に1勝を挙げ一矢報いたものの、2023-24に入ると前半戦は勝ったり負けたりと安定感がなかった。加えて寺嶋が故障で離脱。「終わった」と見るのが、妥当だった。

 ところが、そんな周囲の目に逆らうかのように、広島は調子を上げた。逆境だからこその集中力だったのか、3月以降は21勝8敗と高い勝率を挙げた。同月下旬の名古屋、4月下旬の島根スサノオマジックと同地区の対戦相手との2連戦をいずれもスイープしたことなどが効き、プレーオフの椅子を得た。

 山崎は、チームの優勝へ駆け上がる道程をこう振り返った。

「シーズン終盤、CSが見える位置に来た頃にはチームケミストリーはすばらしいものになっていて、選手それぞれがみんなのことを信じていましたし、そういった信頼は非常に大きなものがあったと思います」

 これが例えば宇都宮ブレックスや千葉のような優勝経験のあるチームであれば、ポストシーズンにピークを合わせファイナルへ進む可能性が高まった、などと周囲は評していただろう。だが、実績の薄い広島に対して、そういった声が広まることはなかった。

 周囲を見返したい――。外野からの評価が下がれば下がるほど、むしろ広島のエネルギーは膨らみ、チームの一体感は増していった。

「我々はずっと周りの評価を覆したい、勝ち続けたいと思っていましたし、そのために士気を高く保っていたいと考えてきました。我々の若手はシーズンを通して向上し続け、自信を積み重ねていったのです。多くの人たちが、(寺嶋)良が故障を負ってしまった時に我々がプレーオフに出られるわけがないと考えていたようですが、我々はそれができると信じていましたし、そのために努力を重ねてきました。誰も我々が三遠を破るとも、名古屋を破るとも思っていなかったと思いますし、琉球とのファイナルも2試合で片づけられてしまうだろうと見ていたはずです。そうした見方に対して、周囲が間違っているのだ、と我々は証明しています」

 ファイナルの第2戦を制し、BリーグのCS史上最大級のアップセットの完遂まであと1勝に迫った広島のカイル・ミリングヘッドコーチはそう述べた。述べた、というよりも、まくしたてたというほうが近いか。シーズン終盤からポストシーズンにかけて力強く前進したチームを、代弁するかのような言葉だった。

後編「広島ドラゴンフライズ社長が語る初優勝までの舞台裏」につづく>>

2 / 2

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る