日本バスケを五輪へ。馬場雄大は
少年ジャンプの主人公のように頷いた (3ページ目)
馬場の最高到達点は350cmを優に超える。さらに「一歩強く踏み込めればダンクできます。ノーマークか密集地帯かは関係ない」とも語る。高くて、強い。馬場のダンクは、まさに規格外だ。
1976年のモントリオール五輪を最後に、日本代表は五輪から離れている。馬場の父・敏春氏は、1979年に開催されたモスクワ五輪のアジア予選で日本代表としてプレー。中国との決勝戦、日本代表は延長の末、わずか2点だけ及ばず敗れた。
もちろん、日本はモスクワ五輪をボイコットしたため、勝っていても出場は叶わなかった。それでも、五輪出場に片腕をかけていたと言ってもいいだろう。
「父と東京五輪の話はよくします。『お前はキャリアの一番いいタイミングで五輪を迎えられる。しかも、日本で。恵まれたことだし、この運命を大切にしなさい』と。
僕はずっと『馬場さんの息子』って言われてきて、最近やっと、父が『馬場くんのお父さん』って言われることが増え始めました。ふたりで話すんです。『完全にひっくり返るのはいつだろうね?』って。父を超えることを目標にずっとやってきたんで、東京五輪に出られたら超えられるかなって思ってます」
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