井上雄彦、歴代スラムダンク奨学生と語る「高校では終われない、君へ。」 (4ページ目)
早川ジミー(はやかわ・じみー)●1990年10月12日生まれ、神奈川県出身。福岡第一高校を経て第2回スラムダンク奨学生に選ばれる。留学先のサウスケント・スクールからアリゾナ・ウエスタン大学(2年制)へと進学し、2012年12月、JBL2部に所属するTGI・Dライズに入団。2013年シーズンより豊田通商ファイティングイーグルス(JBL2部)でプレイする。190センチ、ガード。「アメリカはどこに行ってもスゴい奴がいる」(谷口)
――山崎選手はそのような経験は?
山崎 いや、そんなすごい話はないです。自分は平和主義なんで……。ケンカが起きそうなら、僕はすぐに帰っちゃいます。
(爆笑)
井上 稜は感情を表に出さないよね。アメリカ人って感情を表に出す人が多いけど、その中で稜はどういう風に相手に接しているの?
山崎 僕、ひとりで平気なんですよ。
早川 プレイスタイルと性格が合っているんだろうね。だから周りも受け入れやすいんだと。
井上 シューターだしね。一定数の日本人にとってはその感情の表し方、すごく外交的にならなくてはいけないんじゃないかと感じたり、そういうのが意外と大きなハードルなんじゃないかと。その点で稜はどう感じていたのかなというのは興味があったんだけど……ひとりで平気な性格、と(笑)。
――ところでみなさん、サウスケント・スクールを卒業したあとは、どのように進路を決めたのですか?
谷口 英語の問題があったので、語学力に関係なくプレイできるところに売り込みました。
井上 バスケだけの評価なら、もっと選択肢はあったと思う。そういう意味でも語学力と勉強、特別できる必要はないけど一定の学業成績は求められる。将来アメリカの学校でのプレイを考えている中高生にはそのことをぜひ知っておいてほしいです。
――谷口選手と早川選手は2010年9月、ふたり揃ってアリゾナ・ウエスタン大学(2年制)に進学しましたが、プレイ時間は増えました?
谷口 最初のシーズン前半は、全然出られなかったですね。自分たちから売り込んだので、コーチは僕らの長所を知らないし、まずは様子見という感じで参加させてもらっていました。チャンスをもらえれば結果を残せる自信はあったんですけど。それがシーズン後半になって、僕もジミーも時間をもらえるようになると結果を残せたんで、その後、試合に出られるようになりました。
早川 やっぱり、練習後や試合後の自主練習をコツコツやっていたのが、(出場できる)キッカケになったと思う。練習後、自分と大智はふたりきりでずっと自主練をやってたんです。それを監督やコーチが何度も目撃していて、「こいつら、頑張っているな」と思ってくれたんじゃないかな。こっちは一番下からのスタートなんで、失うものはない。ただ、ガムシャラにやろうと。そうしたら2学期、いきなりスタメンに入ったんです。その試合、大智もシックスマンとして出場してきて、「あ、同じコートに立っているな」と。試合が終わるまで信じられなかったですね。
――山崎選手は昨年9月にタコマ大学(2年制)へ進学しましたが、バスケット面で変化はありましたか?
山崎 僕は……、別に特別なことはないです。
井上 そんなことないでしょう(笑)。途中で話すの、めんどくさくなったんじゃないの?
山崎 いやいや、タコマはけっこう早くに練習場の鍵を閉められるので。
早川 俺なら鍵を借りて勝手に練習場を開けちゃうけど。
――やはり、もっと練習したいですか?
山崎 それはありますね。
井上 コーチに、「鍵、くれ」って言えば?
山崎 そういうのは、ちょっとめんどくさいというか……。
一同 「めんどくさい」はないだろ。「めんどくさい」は!
(爆笑)
――ここから、現在と将来についても聞かせてください。谷口選手は昨年9月、サウスイースタン・オクラホマ州立大学(4年制)に編入しました。この大学はNCAA(全米大学体育協会)の2部に属していますが、バスケットのレベルは高いですか?
谷口 どこにいってもスゴい奴はいるなぁという感想です。ただ、今のコーチが(前所属の)アリゾナ・ウエスタン大時代から知っていて、僕の長所も分かっているので、来年はシューターとして活躍できればと思っています。
――早川選手はアリゾナ・ウエスタン大学(2年制)卒業後に帰国し、2012年12月、リンク栃木ブレックスの下部チームであるTGI・Dライズ(JBL2部)に入団しました。日本でのプレイを選んだ理由は何だったのでしょう?
早川 自分は経済的に限界があって、(アリゾナ・ウエスタン大学での)2年間を終えて日本に帰ってきました。サウスケントと合わせると3年、自分的に区切りが良かった。英語は十分に覚えたし、試合も出られたし、チームで活躍するという目的も果たせた。その過程で、ゲームを支配できる選手になりたいと思ったんです。チームを動かせる選手になりたいなと。ただ、アメリカではそのハードルが高いし、そのポジションは難しい。しかし日本に帰ってきたら、それができると思って帰国しました。今は代表選手になることを目標に、自分を必要としてくれるチームで、自分のバスケットを目指したい。何でもできる選手になりたいんですよ。そして、目指しているレベルに達することができたら、またアメリカに行きたいと思っています。
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