井上雄彦、歴代スラムダンク奨学生と語る「高校では終われない、君へ。」 (5ページ目)
山崎稜(やまざき・りょう)●1992年9月25日生まれ、埼玉県出身。昌平高校を経て第4回スラムダンク奨学金に合格。留学先のサウスケント・スクール卒業後、2012年9月、タコマ大学に進学。185センチ、ガード。「井上さんが教えてくれた田臥選手の言葉に勇気づけられました」(谷口)
――改めてサウスケント・スクールで過ごした14ヵ月を振り返ると、そこで何を掴みましたか?
谷口 「我慢すること」、ですかね。高校まで当たり前のように試合に出ていたのに、出られなくなった。でも、それをクリアするには自主練をしてうまくなるしかない。結論は出ているんです。ただ、それまでずっと試合に出ていたので、その環境に納得できない自分もいて……。それをどうにか耐え抜いて我慢するしかないという意識の変化がありました。あとは……、やはり、英語ですかね(笑)。
早川 サウスケントに行ってまず思ったのは、「変わらなきゃいけない」ということ。日本にいる友達は、「ジミーはジミーのままでいいよ」と言ってくれましたが、「変われないと進化はないな」と思ったんですよ。高校時代、すでに身長が190センチあって、フォワードやセンターのポジションだったのが、アメリカに来たらガードをやるようになりました。それまで周囲に生かされるプレイスタイルだったのが、自分が周囲を生かさないといけない役割になったんです。でも、「ここで変われないと先はない」と思ったんで、自分にプレッシャーを与えながら過ごしていました。結果、自分のバスケット人生のターニングポイントになりました。これがサウスケントでの14ヵ月で掴んだものだと思いますね。
――山崎選手はどうでしょう?
山崎 自分は高校時代からシューターとしてやっていたので、3ポイントはけっこう通用するんじゃないかと思っていました。ただ、身体が弱かったので、フィジカル面を鍛えて短所から長所に変えられたらいいなと。あと、サウスケントに来て、英語にもっと興味が持てるようになりました。少し話せるようになると、「もっと流暢に話したい」という欲が出てきたので、英語への好奇心が強くなりました。
――3人の話を聞いて、先生の感想はいかがですか?
井上 そうですね。相当辛いこともあったんだろうなと。でもそれを乗り越えて、みんな逞(たくま)しくなっているのが嬉しいです。ジミーが言ったように、「変わらないといけない」という気持ちは、アメリカに行ってバスケットで上に行こうとする、日本人みんなに当てはまることじゃないかと思います。やれることなら何でもやってやるという姿勢は、選手として、持っているとずいぶんと違う。コート上でそんな姿勢を見せられる選手って魅力的だし、強いと思う。ファンにも愛される。チームメイトにも良い影響を与える。そんな選手が増えてくれると、日本はもっと強くなれると思います。
――先生は何度もサウスケントに行って3人と会っていますが、その都度、彼らの成長を実感されましたか?
井上 どの選手のときもやはり、「身体がデカくなっている」というのを、最初に感じますね。まぁ、あと思ったのは、愚痴の多さだったり……(笑)。
(爆笑)
井上 すごい壁にぶつかっているというのは、(奨学生の)誰と会っても、ひしひしと感じましたね。いきなり違う環境で、言葉も分からなくて、バスケットも違うんですから。でも、そこを乗り越えてほしいなっていつも思います。
――先生とアメリカで会ったとき、印象に残っていることはありますか?
谷口 井上さんがサウスケントにいらしたとき、田臥(勇太/現リンク栃木ブレックス)さんから預かったというメッセージをいただいたんです。井上さんが代筆して紙に書かれたその言葉を見たときは、「田臥さんも同じことを経験したんだな」ということが、ひしひしと伝わってきました。もっと頑張らなきゃなと思いましたね。
――その言葉とは?
谷口 『どんなことでも、すべての経験が財産になる。今を大事に頑張ろう。』という言葉でした。「全部、田臥さんに見られているのかな?」と思いましたね。
井上 田臥くんも同じような道を通ってきたんだろうと思います。
谷口 日本で生活している人に言われてもしっくりこなかったでしょうけど、同じ環境にいた田臥さんの言葉だから、響きましたね。
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