井上雄彦、歴代スラムダンク奨学生と語る「高校では終われない、君へ。」 (2ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva
  • 喜 安●写真 photo by Kiyasu

井上雄彦(いのうえ・たけひこ)●1967年1月12日生まれ、鹿児島県出身。1988年、手塚賞入選作『楓パープル』でデビュー。2004年、代表作『スラムダンク』が単行本1億冊を突破。現在、週刊ヤングジャンプで『リアル』、モーニングで『バガボンド』を連載中。井上雄彦(いのうえ・たけひこ)●1967年1月12日生まれ、鹿児島県出身。1988年、手塚賞入選作『楓パープル』でデビュー。2004年、代表作『スラムダンク』が単行本1億冊を突破。現在、週刊ヤングジャンプで『リアル』、モーニングで『バガボンド』を連載中。「試合に出られない経験をするために、アメリカに行った」(早川)

――日本人がアメリカで挑戦するには大変な苦労があると思います。みなさんはスラムダンク奨学制度を使ってアメリカに留学しましたが、最初はどんな印象を持ちましたか?

山崎 留学して初めて向こうのチームとマッチアップしたとき、相手が僕のことをナメているなと感じました。だから自分のプレイを見せて、そのイメージを変えたいなと。試合中、コイツできるなって思わせたかったです。

谷口 僕自身もそう感じた部分は多かったですね。初顔合わせで5対5のチームを作ろうとしたとき、やはり最初は身体のデカい奴だったり、黒人選手を先に取り合うんです。そして最終的に、白人で使えなさそうな奴や、僕らアジア人が残ってしまう感じで......。

――みなさんは高校時代、どんな心境でスラムダンク奨学制度に応募したのですか? 谷口選手は当時、京都の洛南高校で史上2校目となるウインターカップ3連覇を成し遂げていましたが。

谷口 最初は、「アメリカに行きたい。でも、どうすればいいのか分からない」という心境でした。ただ、U-18日本代表で一緒にプレイしていた並里(成)さんが、スラムダンク奨学金でアメリカに行った。しかも、奨学生の受け入れ先である『サウスケント・スクール』は、アメリカでもトップレベルのチームだと聞いて......。上のレベルでやれるなら、試合に出られる、出られないは別にして、いい経験になるかなと思って応募しました。

――早川選手はバスケの強豪・福岡第一高校で並里選手と先輩・後輩の間柄でしたが、影響を受けましたか?

早川 並里さんがスラムダンク奨学生としてアメリカ留学を決めたときから、自分にもチャンスがあるかなって思いは頭の片隅にありました。中学生のときからアメリカに行くことが夢だったので。たしかに現実と向き合うと、簡単じゃないのは分かっていたけど、奨学生を募集しているとき、恩師である福岡第一高の井手口(孝)先生から、「お前は試合に出られない経験をしろ」と言われて......。「お前はずっと試合に出られる環境にいるから、そのありがた味を実感していない。だから厳しい世界でプレイするのが将来のステップアップになる」と言ってくれたんです。

井上 試合に出られない経験をしろって言われたんだ。それは知らなかった。

――第2回スラムダンク奨学金では、谷口選手と早川選手のふたりが選ばれました。先生は甲乙つけがたい素晴らしい素材だと感じたのですか?(※ふたり同時に奨学生が選ばれたのは第2回のみ。第5回の該当者ナシをのぞき、それ以外の第1回から第6回までの奨学生はすべて1名)

井上 そうですね。受け入れ先のサウスケントも、できるならふたりとも獲りたいと言ったので。

――谷口選手と早川選手のプレイを初めて見たときの印象は?

井上 ジミーはリバウンドが強くて、そしてシュートがうまいなぁと思いました。(高校時代)すごくシュートを入れていたよね?

早川 ほめられると、シュートが入らなくなるんですけど......。

(爆笑)

井上 じゃあ言わないでおく(笑)。一方、高校時代の大智はとにかくガムシャラに頑張るプレイヤーだと思いました。外国からの留学生が支配するゴール下で彼らと対等に渡り合える数少ない日本人センター。ふたりとも、その世代のトップ選手でしたから、初代の並里成に続いて、日本の若手トップ選手がアメリカに行くんだなと。ありがたくもあり、それ以降の応募のハードルが上がることもあり......(笑)。「僕らには無理だ」って思われたら嫌だなと。でも、アメリカでプレイしてもらうことが何よりも先決なので、向こうで自分たちの力を存分に発揮してもらえればと思っていました。

――山崎さんの高校時代の心境はいかがですか?

山崎 1期生に並里さん、そして2期生にジミーさんと大智さんが選ばれたので、井上さんが言ったように「ハードルが上がった」と思いました。全国のトップレベルの選手しか選ばれないんだろうなと。しかし、3期生に矢代雪次郎さん(千葉県・流通経済大付属柏高出身)が受かったとき、もしかしたら自分にもチャンスがあるんじゃないかと思えるようになりました。

――山崎選手は全国制覇の実績のない昌平高校出身(埼玉県)ですが、昔からアメリカでプレイしてみたかったのですか?

山崎 中学時代はそこまで考えていませんでしたが、高校に入ってから少しずつ思うようになりました。

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