「レッドブルは人間味のある温かいチームだった」ホンダF1メカニックが抱く感謝「終わる感じがまったくしなかった」 (2ページ目)
【強さの裏側にあった人のつながり】
ーー実際に一緒に仕事をしてみて、レッドブルはどういうチームでしたか?
吉野 レッドブルはトップチームでちょっと冷たい雰囲気なんじゃないかというイメージはあるかもしれませんが、実際にチームのなかでオペレーションをしている人たちはちょっと違うと思います。
どんな仕事でも大事なのは結局、人じゃないですか。レッドブルには人を大事にするという文化が根づいているんです。私が彼らと一緒に仕事をした7年間に、チーム代表や現場のトップもいろいろ変わりました。それでもレッドブルの首脳陣は我々のことをいつも気にかけてくれて、すごく細かいところまでサポートしてくれました。
2025年シーズン限りでホンダとレッドブルのパートナーシップは終了し、それぞれ新たなパートナーと組むことが決まっています。終盤戦になると、お互いに2026年の開発に関わることも現場に出てくるじゃないですか。正直やりにくくなってくるのかなと想像していたんですが、機密的なバリアを張られるとか、よそよそしくなるとか、そういうことはいっさいなかったです。
今までどおりずっと情報は共有できていましたし、細かいところもサポートをしてくれました。レッドブルは人間味のある、温かいチームだったなと。それが内側から見た感想ですね。
ーー相手をリスペクトする気持ちを持ったままでパートナーシップを終了できるのはいいですよね。ギクシャクしたまま別れていくというケースも、この世界では少なからずありますよね。
吉野 そのとおりですね。レッドブルの方たちも「ルノーと組んでいた時とはだいぶ違う」って言ってくれます。決してルノーが悪いと言っているわけではなくて、ルノーにはルノーのアプローチがあったと思いますが、ホンダとレッドブルはお互いをリスペクトしながら勝利のためにひとつになって仕事に取り組むことができました。そこはいろんな人が評価してくれる部分だと思います。
とはいっても、当然ビジネスの側面もありますので、契約に関してはシビアな部分もけっこうあったはずですが、その契約のもとで実際に動いているのは血の通った人間同士です。そこのやり取りを大事にしてないパートナーシップでは成果が上げられないのかな、と。ホンダとレッドブルは現場での人と人のつながりを大事にしていたからこそ、これだけの成果を上げられたんだなとすごく感じました。
ーーそれはF1に限らず、どのスポーツでも共通していることですよね。
吉野 そうかもしれないですね。F1マシンの開発には膨大な予算がかかるとんでもない世界で、究極の技術開発が行なわれていますが、最後はやっぱり人なんだと思います。
法原 吉野さんがいい感じで締めくくってくれましたね(笑)。本当にそのとおりだと思います。私が担当したレーシングブルズはイタリアのチームらしく、明るく、元気に、いつも温かく接してくれました。それはワークス撤退が発表されたあともいっさい変わりませんでした。
最終戦のアブダビGPが終わったあと、「2026年の準備をどうするんだっけ?」と思わずレーシングブルズのスタッフと会話にしそうになるぐらい、まだまだパートナーシップは続きそうな雰囲気でした。
吉野 そうですね。終わる感じがまったくしなかったですね。レッドブル・グループの2チームと一緒に仕事をさせていただいて本当によかったなと心から思っています。
終わり
第1回を読む>>>【ホンダF1・メカニック対談 吉野誠×法原淳】フェルスタッペン、佐藤琢磨......関わったF1ドライバーの「素顔」を明かす
<プロフィール>
吉野 誠 よしの・まこと/1969年生まれ。1990年、ホンダ入社。国内の一般車のサービス部門を経て、1999年からF1プロジェクトに参画。当初はホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)が製作したテストカーのプロジェクトに関わり、2000〜2008年には第3期F1で活動。その後、燃料電池の開発に携わり、2018年にF1プロジェクトに復帰。2025年までレッドブル・レーシングのチーフメカニックを務めた。
法原 淳 のりはら・あつし/1970年生まれ。1991年、ホンダ入社。国内の一般車のサービス部門を経て、1998年からジョーダン・無限ホンダのエンジン開発に関わり、2000〜2008年、第3期F1プロジェクトに参画。その後、量産車のミッション開発に携わり、2018年からF1プロジェクトに復帰。2025年までレーシングブルズ(アルファタウリ、トロロッソ)のチーフメカニックを務めた。
著者プロフィール
熱田 護 (あつた・まもる)
フォトグラファー。1963年、三重県鈴鹿市生まれ。2輪の世界GPを転戦したのち、1991年よりフリーカメラマンとしてF1の撮影を開始。取材500戦を超える日本を代表するF1カメラマンのひとり。
川原田剛 (かわらだ・つよし)
1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。
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