検索

【ホンダF1・メカニック対談 吉野誠×法原淳】フェルスタッペン、佐藤琢磨......関わったF1ドライバーの「素顔」を明かす

  • 熱田 護●インタビュー・撮影 interview&photo by Atsuta Mamoru
  • 川原田 剛●構成 text by Kawarada Tsuyoshi

ホンダF1 ベテランメカニック対談 第1回(全4回)

 2026年シーズン、ホンダはアストンマーティンと組んで、第5期のワークス活動を再開させる。そこで今回、F1カメラマンの熱田護氏が、ホンダF1の第3期(2000〜2008年)と2015年からスタートした第4期を最前線で支えてきたふたりのメカニックに話を聞いた。

 ひとりは2025年までレッドブル・レーシングでチーフメカニックを務めた吉野誠さん。もうひとりは同じく2025年までレーシングブルズ(トロロッソ、アルファタウリ)でチーフメカニックとして活動した法原淳さん。ホンダの現場の「顔」として長く活躍してきたベテランメカニックのふたりに、ホンダF1の過去と未来について熱く語ってもらった。(インタビュー実施=2025年12月)

レッドブルのメカニックを務めた吉野誠さん(左)とレーシングブルズを担当した法原淳さん(右)レッドブルのメカニックを務めた吉野誠さん(左)とレーシングブルズを担当した法原淳さん(右)この記事に関連する写真を見る

【200戦以上を皆勤賞、最初の仕事は?】

ーーまずは、ふたりのF1でのキャリアを教えてください。

法原淳(以下、法原) 第4期は2019年の第11戦ドイツGPがスタートでした。そのレースで当時トロロッソのダニール・クビアト選手が3位表彰台に上がったんですよね。そこからチーム名はトロロッソ、アルファタウリ、レーシングブルズと変わっていきましたが、おかげさまで大きなケガもなく、2025年シーズンの最終戦アブダビGPまで皆勤賞でした。

 最初にF1のプロジェクトに関わったのは1999年です。当時は「無限」がジョーダンにエンジンを供給していたのですが、実際に(自然吸気の)V10エンジンを開発していたのはホンダだったんです。その頃の僕はまだ駆け出し。エンジンをバラして、洗浄して、クラック(ひび)の有無をチェックして......というのが最初の仕事でした。

 1999年のジョーダンはけっこう調子がよかったです。ドライバーのハインツ=ハラルド・フレンツェン選手がチャンピオン争いに加わっていましたので、予選用のスペシャルエンジンを作ることになりました。それで日本GPのための「鈴鹿スペシャル」を担当しました。

ーー当時は予選専用のエンジンがありました。いい時代でした(笑)。

法原 そうですね。予選の1アタックだけのためにスペシャルエンジンを1基投入していました。その時に初めて上司が「お前、いろいろな仕事をやってきたんだから鈴鹿へ行ってこい」と言われて、初めてF1の現場に行きました。正直、予選で何があったのかは記憶にないですが、「鈴鹿スペシャル」はトラブルなくしっかり走ったことは覚えています。

吉野誠(以下、吉野) 私がF1のメカニックの仕事を始めたのも1999年ですが、ジョーダン・無限のプロジェクトではありません。その頃、ホンダの白いF1マシン(RA099)をマックス・フェルスタッペン選手のお父さんであるヨス・フェルスタッペンさんが走るというプロジェクトがあって、そこで仕事をすることになったのが最初です。

ーーホンダがコンストラクターとして参戦することを目指したプロジェクトですね。イギリスにホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)を設立し、フェラーリなどで活躍したデザイナーのハーベイ・ポスルスウェイトさんがマシンを設計し、テストドライバーにヨス・フェルスタッペン選手を起用。サーキットでテストするところまで準備が進んでいました。

吉野 そのプロジェクトの実走テストに参加させていただいたのが1999年です。レースメカニックの現場デビューは、第3期のBARホンダ時代、2001年の開幕戦になります。それから第3期は、ホンダが撤退する2008年までメカニックを務めました。

 第4期は2019年の開幕戦からレッドブルでチーフメカニックを務めていますが、法原さんと同様に2025年シーズンの最終戦まで皆勤賞ですね。第3期を入れると、これまでメカニックとして現場に来たのは243戦。昔のカレンダーを全部調べて、ちゃんと数えたんですから(笑)。

法原 それはすごい(笑)。私は2000年からBARホンダに加わり、第3期ではBAR用のレースエンジンを組み立てるグループに入りました。これまでのレース数は、吉野さんよりは少ないので、たぶん200戦くらいかな。

1 / 3

著者プロフィール

  • 熱田 護

    熱田 護 (あつた・まもる)

    フォトグラファー。1963年、三重県鈴鹿市生まれ。2輪の世界GPを転戦したのち、1991年よりフリーカメラマンとしてF1の撮影を開始。取材500戦を超える日本を代表するF1カメラマンのひとり。

  • 川原田剛

    川原田剛 (かわらだ・つよし)

    1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。

フォトギャラリーを見る

キーワード

このページのトップに戻る