【F1】角田裕毅「エンジニアと何を話せばいいかわからない」 低迷から救ってくれた先輩アルボンの存在
【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔04(全5回)後編
「2021年:F1」
◆角田裕毅の素顔01から読む>>「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった」
◆角田裕毅の素顔04前編>>デビュー2戦目でクラッシュ「マルコさんに会いたくない」
ヨーロッパに渡ってわずか3年でF1のシートをつかみ取った角田裕毅。2014年の小林可夢偉以来、7年ぶりの日本人F1フルタイムドライバー誕生に大きな注目が集まった。
アルファタウリのマシンを与えられた角田は、その期待に応えて開幕戦バーレーンGPでいきなり9位入賞を果たす。しかし、第2戦エミリア・ロマーニャGPの予選でクラッシュを喫し、そこから調子を落とすことになった。
大きな試練にぶつかった20歳のルーキーは、どのようにして立ち直っていったのか。角田のそばで叱咤激励した元ホンダのF1マネージングディレクター山本雅史に、その当時の様子を話してもらった。
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角田裕毅にとって2021年はF1の基礎を学んだ年だった photo by Boozyこの記事に関連する写真を見る── F1デビューとなった2021年、第2戦エミリア・ロマーニャGPの予選Q1でのクラッシュをきっかけに、角田選手は調子を落としてしまいました。角田選手がその苦しみから抜け出せた理由、成長できた理由は何だったのでしょうか?
「あそこからすごく成長できた理由のひとつが、アレクサンダー・アルボンの存在だと思います。アレックスが途中から『先生』になってくれたんです。
彼はレッドブルのリザーブドライバーとして、常に金曜にマックス(・フェルスタッペン)の裏メニューでファクトリーのシミュレーターをドライブしていました。だけど、それが終わってから夜のフライトでサーキットに来て、マルコさんの依頼で角田の現場教育担当をしてくれていたんです」
── 当時はエンジニアとのデータ分析なども突き詰めができていなくて、さっさとサーキットから帰ってしまっていたと、角田選手はあとになって話していました。
「(チームメイトの)ピエール・ガスリーはいつも、最後の最後まで担当レースエンジニアとミーティングしているんだけど、角田は全体ミーティングが終わったら一番に部屋から出てくるんです。
あとになってわかったのは、本人曰く、最初は何を話せばいいのかもわかっていなかったということで、それじゃダメだからエンジニアとどういうコミュニケーションを取るべきなのかを教えてやれと、マルコさんがアレックスに依頼をして、そこからは角田もエンジニアのオフィスに入り浸るようになったんです。
そこからの学びはたくさんあったんだと思います。角田にとって2021年はF1の基礎を学んだ年になったでしょう。そういうタイミングとかも、周りの人たちに生かされているな、ということですね。
縁やタイミングに恵まれないドライバーもいるなかで、角田は本当にそういった面に恵まれたドライバーだと思います」
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著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。



















