青木功、丸山茂樹を超えて、松山英樹は全米オープンの歴史に名を刻むか (3ページ目)

  • text by Reiko Takekawa/PGA TOUR JAPAN
  • photo by PGA TOUR

 2位に甘んじた青木だったが、この戦いによって「世界の青木」と呼ばれるようになる。そして、その渋いパッティングスタイルで、アメリカでも一躍人気選手となった。ただ、のちに青木はこうした現象について、こう振り返っている。

「あれは、ジャックに挑んで負けたから人気者になれた。もし勝っていたら、きっとあんなに温かくは迎えられなかったかもしれない」

 アメリカでは、やはり日本勢というのは外国勢。つまり、日本勢とすれば"敵地"での戦いとなる。青木の言葉に、そのことを改めて痛感させられた。

 日本勢による全米オープン制覇の期待がかかった試合がもうひとつある。2004年、シネコックヒルズで戦った丸山茂樹だ。

 グリーンが恐ろしく硬く、かなりの難コースだった。そこで丸山は、初日、2日目と首位に立った。3日目に順位を落としたものの、最終日は首位と3打差の4位でスタート。逆転勝利への期待はまだまだ大きく残っていた。

 しかしながら、最終的にはレティーフ・グーセン(南アフリカ)が優勝。丸山は4位に終わった。それでも、メジャーでは自己最高の成績を残し、日本人がメジャータイトルを手にする可能性があることを証明した。そういう意味では、非常に価値のある一戦だった。

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