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【欧州サッカー】ドログバを奮い立たせたモウリーニョのひと言「チェルシーなら22人のキングの頂点に立てる」 (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【モウリーニョ監督を失って落胆】

「試合に出られないほどではないが、決してベストコンディションではない。ある程度、スケジュールを管理している」

 翌シーズン、モウリーニョはドログバを気遣っていた。ひざや足首は常に痛みが伴い、無理強いできない状況だった。それでも12ゴールを挙げ、11アシストはリーグ最多だ。総得点の31%にあたる、堂々たるスタッツで連覇に尽力する。

「俺がここにいられるのは、チェルシーでプレーできるのは、ボスのおかげだ」

 ドログバは再三にわたってモウリーニョに対する感謝を公言し、その思いは2006-07シーズンに大きく花開いた。

 チームは残念ながら3連覇を逸した。新戦力のアンドリー・シェフチェンコとミヒャエル・バラックが期待を裏切り、マンチェスター・ユナイテッドにタイトルを譲った。

 しかし、ドログバは36試合・20ゴールで悲願の得点王を獲得し、FAカップとリーグカップのダブルにも貢献する。

「俺を気遣ってくれたボスのおかげさ」

 だからこそ、2007‐08シーズンのアクシデントは憤懣(ふんまん)やるかたなかったのだろう。アブラモヴィッチとの方向性の違いが明るみに出たモウリーニョが、序盤戦の不振も災いして解任。ドログバは「家長を失った」と落胆し、移籍を匂わせる発言を繰り返すようになった。

 ただ、稀代の名将が去ったあとも、チェルシーは2009−10シーズンもプレミアリーグで優勝している。ドログバは29ゴールを挙げて、3シーズンぶりの得点王に輝いた。

 2011-12シーズンにはチャンピオンズリーグも制した。決勝のバイエルン戦ではドログバが88分に渾身のヘッド。試合を振り出しに戻した男は、ラストキッカーを務めたPK戦でもクールに決め、クラブを初のヨーロッパチャンピオンに導いている。

 しかし、どうしても心からは喜べなかったという。

「チェルシーの1シーズン目が終わった時、マルセイユに帰りたくてたまらなかった。10点しか取れなかったし、毎シ--ズンのように15点前後をマークするランパードがいる。俺は必要ないなって思ったんだ。

 その時、ボスが声をかけてくれた。たったひとりでキングのように振る舞いたいのなら、マルセイユで楽をすればいい。まぁ、自己満足ってやつだな。でも、チェルシーなら22人のキングのなかでトップに立てる可能性があるんだぞってね」

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