レアル・マドリードの指揮官アンチェロッティの去就は? 「バランス重視」の姿勢はブラジル代表監督にうってつけ (2ページ目)
【選手でも監督でもバランサー】
現役時代にはサッキ監督のミランで頭脳的MFとして活躍したアンチェロッティ。欧州CLを制覇してトヨタカップでも来日したので、日本のファンにとってもお馴染みの選手だった。
ただ、当時のミランではフランコ・バレージやパオロ・マルディーニの守備陣やルート・フリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトのオランダトリオが脚光を浴びており、バランサー役のアンチェロッティはいささか地味な存在だった。
1990年イタリアW杯を前にトリノにはスタディオ・デッレ・アルピが完成。2000年当時、ユーベもトリノも試合にはデッレ・アルピを使用しおり、(現在トリノのホームスタジアムである)スタディオ・コムナーレ(現スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ)がユベントスの練習場として使われていた。
そのスタディオ・コムナーレでの練習のあとにアンチェロッティのインタビューのアポイントを取っていた。「地元テレビの取材後に」というので待っていたら、広報がやって来て「すまん! テレビの取材のあと、監督は帰っちゃったんだ。明日来てくれれば必ずインタビューさせてやるから......」と言うのだ。実にいい加減だ!
しかし、仕方がない。その日の晩には別件があったので、いったん飛行機で宿泊先のローマに戻り、翌日、日帰りで再びトリノに飛ぶことにした。
翌日の練習後、プレハブのクラブハウスで待っていると、トレーニングウェア姿のまま、固定式ポイントのシューズをガチャガチャ言わせながら、アンチェロッティがたったひとりでやって来た。「前日、約束をすっぽかしたので悪い」と思ってくれたからなのか、30分くらいという約束だったが、1時間以上にわたって付き合ってくれた。
今となっては話の内容はよく覚えていないのだが、「前任者のリッピ時代からやり方を大きく変えたりはしなかった」「何事もバランス」「そして、結果が重要」といった話が印象的だった。
まだ40歳の新進気鋭の指導者である。そういう若手有名監督のなかには、戦術論や理想をまくしたてるタイプの人も多い。
たとえば、僕はその3年半後、2003年秋にポルトの監督だったジョゼ・モウリーニョのインタビューをしたことがあるが、彼はまさに"野心家"だった。戦術論を声高に語り、そして、「一日でも早く欧州のサッカー大国のビッグクラブで仕事をしたい」と、その野心を隠そうともしなかった。
当時、モウリーニョは40歳。ポルトをUEFA杯で優勝させた、まさに売り出し中の若手指導者だった。
だが、同じ若手監督でも、アンチェロッティからはそんなギラギラ感はまったく感じなかった。中庸を好む、現役時代と同じバランサーだった。
また、僕がポルトに取材に行った当時、モウリーニョは現地メディアといがみ合った状態で、いっさいの取材を受けていなかった(「わざわざ日本から来たので」というので、僕は特別に取材が許された)。
モウリーニョは、まるで"孤高"を演じることを楽しんでいるかのようだった。
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