プレミアリーグに歴史あり ユナイテッドとシティ マンチェスターのふたつのクラブの長いライバル史 (3ページ目)
【シティの長い苦悩】
1970年代、80年代にユナイテッドが低迷していた時期、もうひとつのクラブ、マンチェスター・シティはさらに苦悩していた。
1967-68シーズンにFL1部で優勝を飾ったシティだったが、その後は低迷を続け、1983年にはついにFL2部に降格。1部と2部を行ったり来たりするようになる。1992年のプレミアリーグ発足の時にはなんとか創設メンバーのひとつとなったものの、4シーズン後にはFL1部に降格。1998年にはついに3部に相当するFL2部にまで落ちてしまった。
ちょうど、ライバルのユナイテッドが絶頂期を迎えたころだった。
1999年にマンチェスターに取材に行ったことがある。シティにとってまさに「どん底」の時期だった。そこで、シティサポーターが集まるパブに行って彼らの話を聞いた。
シティのサポーターたちは口々に「ユナイテッドのファンというのは勝っているから見に来ているだけだし、だいたい、他の都市や外国から来るファンが多い」と主張する。
つまり、「俺たちは違う」というわけだ。
実際、シティのサポーターが離反することはなく、3部の試合でも平均で3万人ほどの観客が集まっていた。
「そもそも、シティは1880年にウェストゴートン地区の教会が創設した地元のクラブだが、ユナイテッドは1878年にニュートン・ヒース鉄道の労働者たち(つまりよそ者)が作ったクラブだ」。彼らはそんな古い話まで持ち出してくる。
1972年にアーセナル対シティの試合を観たのが僕にとって初めての海外サッカー観戦だったという話は前にも書いたが、この1999年の取材の時にはシティのホームゲームも観戦した。FL1部のストックポート・カウンティ戦だった。
現在のシティ・オブ・マンチェスター・スタジアム(エティハド・スタジアム)が陸上競技場として完成したのが2002年、英連邦競技大会のメインスタジアムとして使用された後、サッカー専用スタジアムとなったのは翌2003年だった。だから、僕が初めて観戦したシティのホームゲームの会場は、1923年に完成した古いメイン・ロードだった。
英語では記者席のことを「プレスボックス」と呼ぶが、僕はどうして「ボックス(箱)」なんだろうかと、ずっと不思議に思っていた。だが、メイン・ロードで試合を観て納得できた。メインスタンドの上段に壁や天井に囲まれた箱のような部屋があって、そこが記者席だったのだ。そこからは、壁や天井があるのでピッチだけが切り取られたように見えた。周辺の景色が見えないので、試合に集中できるというわけだ。
1999年、メイン・ロードでの取材時の「プレスボックス」のチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る 立見席にぎっしりと詰め込まれたサポーターの歌声。それはまさに、昔『ダイヤモンドサッカー』で見ていたのと同じ光景だった。
20世紀前半に造られたイングランドのフットボール・グラウンドは独特の雰囲気を持つが、1990年代にほとんどのスタジアムは全面改装されるか、新築されてしまい、今でもかつての姿を残しているのはエバートンのグディソン・パークやフラムのクレイヴン・コテージなど数少なくなってしまった。それだけに、メイン・ロードでの観戦は僕にとっては貴重な体験だった。
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