イスラエル、パレスチナでスポーツ界にも多くの犠牲者が 戦争は未来をも奪おうとしている (2ページ目)
【さまざまなジャンルのスポーツで犠牲者が】
スポーツ選手の犠牲者はあとを絶たない。
イスラエルの元サッカー選手で、国内の数々のトップチームでプレーしていたリオル・アスリンは43歳の誕生日の翌日、イスラエル南部で開催された音楽祭に参加中に殺害された。2部のクラブでプレーするサッカー選手ベン・ビンヤミンもこのフェスに参加しており、命は助かったものの、大事な足を切断する重傷を負った。
イスラエル・ラクロス協会は、代表選手のモル・コーエン(24歳)がハマスの激しい攻撃を受けたアシュケロンで、遺体で発見されたと発表。柔道のジュニアチャンピオンで、将来を期待されていたヨナタン・グティン(20歳)は兵士として戦い、戦死した。4×100リレーでイスラエル王者だったシラズ・ブロデシュ(23歳)は、ロケット弾から逃げる途中、パートナーとともに世を去った。体操選手のカリーナ・プリティカ(23歳)、新体操選手のミハエル・ルアイミ(22歳)、水泳選手ガン・エダン・ニムリ(22歳)も若い才能を散らしてしまった。
一方、パレスチナ側の犠牲者も数多く、いまだに把握できないぐらいである。確認されている死者のなかには、バスケットボール選手バシム・アル・ナバヒン(27歳)、サッカー選手ラシッド・ダブール(28歳)、パラリンピックのパレスチナ代表だったアフマド・アワド(21歳)など、多岐に渡るスポーツの選手・関係者が含まれているという。
パレスチナの有名なサッカー解説者でありアナリストでもあるハリル・ジャダラは、この戦争で亡くなったサッカー選手で、優秀なチームを作ることができたと嘆いている。
紛争によりイスラエルとパレスチナのスポーツ界が受けている被害は、人的損失や試合ができないこと以外にもある。こんな状況下で、選手は落ち着いて練習などできるわけはない。街にサイレンが鳴り、多くが家族を失っている。まともな練習場やプレーする場所もない。ガザのヤルムーク・スタジアムはイスラエルの空爆により破壊された。
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