レアルにNOをつきつけた選手たち。エムバペなど、それぞれが断った理由とは (5ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

レヴァンドフスキの加入はあるか

 この夏はポーランドのストライカー、ロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン)のレアル移籍が噂されている。だが、彼は過去に3回、レアルからのオファーを断った経歴を持つ。2014年にドルトムントとの契約が満了し、彼はバイエルンにフリーで移籍をしたが、レアルも彼を狙っていた。数年前には、年俸やボーナス額も書かれたその時のオファーの書類が流出するという事件も起きた。しかし、レヴァンドフスキは、「レアルでプレーする準備はまだできていない」と断った。

 2015年と2018年にも彼はオファーを断っている。だがレアルのペレス会長は彼をとても気に入っていて、まだあきらめる気はないようだ。4度目の正直、なるかどうか。

 最後に登場いただくのはサッカーの王様、ペレだ。彼もやはり3度、レアル行きを断っている。1度目は1959年で、彼が19歳の時。「まだ若すぎる」と断った。2度目は1961年、当時の会長サンチャゴ・ベルナベウが直々にコンタクトしてきたが、家族と離れて暮らす代償としてレアルが示してきた金はあまりにも安すぎると、これを却下した。3度目に接触してきたのは1963年。だがペレは、わざわざヨーロッパまで出かけて苦労し、これまでに築いてきたキャリアを危険にさらす気はなかった。ブラジル政府も「ペレは門外不出」とヨーロッパ移籍を阻止する構えだった。

 今から数カ月前、あるインタビューでペレは移籍について触れた。

「当時、ブラジルの外でプレーしたいと思ったことは一度もなかった。サントスには愛するチームがあり、母のフェジョアーダ(ブラジルの代表的豆料理)があり、気候は温かく、ビーチは美しかった。こうした幸せはお金には代えられないと感じていた」

 レアル・マドリードが「サッカー選手ならレアルからの誘いを断らない」と思っているなら、それは大間違いなのだ。

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