レアルにNOをつきつけた選手たち。エムバペなど、それぞれが断った理由とは (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

アグエロ、トッティ、ジェラード......

 昨年12月、不整脈のため33歳で現役引退を余儀なくされたセルヒオ・アグエロ。2011年、彼がアトレティコ・マドリードを去る決意をしたときに、レアルのフロレンティーノ・ペレス会長が声をかけてきたことがあった。だが、アグエロはこれを断り、マンチェスター・シティへと移籍した。この時のアグエロの移籍をアトレティコサポーターは裏切りとみなし、アグエロも売り言葉に買い言葉で心ない言葉を吐いたが、彼は同じマドリードに本拠地を置くライバルチーム、レアルだけは選ばなかった。

 彼がレアルに行かなかった理由は、やはりアトレティコを愛していたからだ。もし彼がここでレアルに移籍していたら、両チームの関係はさらに険悪になっていただろう。アグエロにとってレアルは常にライバルチームだった。引退前にバルセロナのユニホームを着て、最後にゴールを奪ったのもレアルからだった。

 フランチェスコ・トッティはローマで生まれ、ローマの下部組織でボールを蹴り始め、ローマのキャプテンとなった生粋のロマニスタだ。25年間のキャリアのすべてをローマに捧げた。そんな彼がプレーする可能性があったローマ以外の唯一のチームがレアルだった。2006年の夏に、トッティはレアルからのオファーを受けている。。

「もちろん私は悩んだ。何日間か、それ以外のことが考えられなかったくらいだった」

 当時、彼は30歳、ローマはあまり調子がよくなかった。レアルに行くことはサッカー人生で何かを勝ち取れる最後のチャンスでもあった。しかし最終的に彼はレアルに断りを入れ、ローマに残ることを選ぶ。

「私は自分の心の声に従った。そうやって出した答えは絶対に間違ってはいない。少なくとも私はそう思う」

 引退後、トッティは当時を振り返り、そう言っている。生涯ひとつのチームだけでプレーする選手は今や貴重な存在である。彼はそれを貫いた。

 やはり自分の気持ちに従ってレアル行きを断ったのが、リバプールのキャプテン、スティーブン・ジェラードだ。

 多くの監督にとって彼のような選手を持つことは夢であるようだ。ジネディーヌ・ジダンもジョゼ・モウリーニョも彼のことを高く買っており、ジダンは2度、モウリーニョは1度、レアルの監督時代にジェラードを誘っている。

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