「名選手、名監督にあらず」を覆したスーパースターと言えば? (4ページ目)
筆者も3度ほど話をうかがったことがある。"攻撃的サッカー"の発信者らしい、布教精神に富む内容だった。それでいて、押しつけがましさはなく、少年らしい朗らかな口調が印象に残る。
没後5年近く経過するが、世界にはなお、クライフイズムを信奉するファンで溢れている。"名選手、名監督なり"と称するに、最もふさわしい存在かもしれない。
クライフがバルセロナの監督をしていた時代、選手として活躍していたグアルディオラは、同チームの監督になってからも2度、欧州一に輝いている。バロンドール級のスーパースターではないが、"名選手、名監督なり"に近い存在と言える。
クライフが攻撃の中心選手だったのに対し、グアルディオラはより後方に位置する守備的MF。その分、監督グアルディオラの姿は、現役時代から十分想像できた。
しかし、クライフは監督になる姿を想像することが難しかった。メッシやC・ロナウドしかりである。アタッカーとして活躍する選手に、将来の監督像をイメージすることは難しい。
バロンドール級のスーパースターと言えば、大抵アタッカーだ。言うなれば、将来の監督候補ではなさそうな選手たちである。"名選手、名監督にあらず"になりがちな要素が、そこに垣間見えるような気がする。
まさしくクライフは、例外中の例外と言える。
グアルディオラに代表される、「バロンドールには届かなかったが、記憶に残る名選手」で、監督としても十分な実績を残しているのは、ディエゴ・シメオネだ。
元アルゼンチン代表のキャプテンと言えば聞こえはいいが、現役時代はとにかく狡猾で、荒ぶっていた。よく言えば闘将、ファイターだったが、アトレティコ・マドリードの監督として高い評価を得る現在の姿を、当時イメージすることはとてもできなかった。
現役時代のポジションは守備的MF。タイプは異なるがグアルディオラと一緒だ。比較的、優れた監督を輩出しているポジションであることは間違いない。
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