「名選手、名監督にあらず」を覆したスーパースターと言えば? (3ページ目)
バロンドールの最多受賞回数は、リオネル・メッシ(これまで6回)とクリスティアーノ・ロナウド(5回)が出現するまでは、3回だった。該当者は、ヨハン・クライフ、ミシェル・プラティニ、マルコ・ファン・バステンになる。
いずれも名選手中の名選手だが、この中でプラティニはフランス代表監督を4年間(1988~1992年)務め、1990年イタリアW杯出場を逃して、ユーロ1992はグループリーグ敗退。自ら代表監督の座を辞し、その後は監督業から離れていった。
ファン・バステンはオランダ代表監督を4年間(2004〜2008年)務めた他、アヤックス、ヘーレンフェーン、AZで采配を揮ったが、主なタイトル獲得はなく、これといった実績は残していない。その後、2015年にオランダ代表のアシスタントコーチに就任するも、2016年には退任。現在もFIFAの役職に就いているようだが、具体的な仕事はなく、現場へ復帰する様子も見られない。監督業に魅力を感じていないように見える。
ともに"名選手、名監督なり"とは言えない。
欧州のスーパースター、ヨハン・クライフ。指導者としても手腕を発揮した バロンドールを3回受賞した3人の中では、クライフが一番存在感を発揮した、監督らしい監督だったように思う。何と言っても、発信力に優れていた。「ドリームチーム」と呼ばれたバルセロナの監督として、攻撃的サッカーを掲げ、その普及に尽力した。1991-1992シーズンには欧州一にも輝いている。
監督を辞めたあとも、BBC等で解説者、コメンテーターとして活躍。なぜ"攻撃的サッカー"でなければならないのかを、哲学的な視点に基づき鋭く評論した。
3 / 5