ハリルホジッチは日本の周回遅れを危惧。実は先見の明を持っていた (4ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 後任となった西野監督が、日本選手のある種の土着性を生かしてチームをつくったのは、ハリルホジッチ監督とは正反対のアプローチだった。ベスト16に入ったことで「ジャパンズ・ウェイ」として高評価を得たわけだが、それが大事だったのなら、なぜハリルホジッチを招聘したのだろうとは思わざるを得ない。

ヴァイッド・ハリルホジッチ
Vahid Halilhodzic/1952年5月15日生まれ。ボスニア・ヘルツェゴビナのヤブラニツァ出身。選手時代はFWとしてヴェレジュ・モスタルやフランスのナント、パリ・サンジェルマンでプレー。旧ユーゴスラビア代表として82年スペインW杯に出場している。90年にヴェレジュ・モスタルの監督をスタートに、フランスのリールやパリ・サンジェルマンなど、多くのクラブの監督を歴任。14年ブラジルW杯ではアルジェリア代表を率いて、同国を初のベスト16に導いた。15年から18年まで日本代表監督。19年8月からはモロッコ代表監督を務めている。

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