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本田圭佑のメキシコでの幸運を祈る。
ミラン番記者が明かす3年半の真実 (5ページ目)

  • クリスティアーノ・ルイウ●文 text by Cristiano Ruiu 宮崎隆司●翻訳translation by Miyazaki Takashi

 3年半に及んだ本田のミランでのキャリアを総括するとすれば、やはり冒頭に引用したマルディーニの「このレベルのリーグ(セリエA)にたどり着くのが少しばかり遅かった」という言葉に行きつく。

"たられば"の話が無意味であることはもちろん承知の上だが、もしも本田のイタリア移籍があと5年、いや、3年でも早ければ......と思わずにはいられない。それこそ、スソがガスペリーニという監督に鍛えられたように、たとえば、カルロ・アンチェロッティ(現バイエルン・ミュンヘン監督)のような指揮官のもとでプレーすることができていれば、間違いなく現在の本田に対する評価は別のものとなっていただろう。

 だからこそ、アンチェロッティと同様に、指導者としての資の高いアッレグリが本田のミラン入り直後(デビュー戦の翌日、2014年1月13日)に解任されたことが残念でならない。無論、それを今にして言っても仕方がないのだが。

 2014年の4月、私はこうも記している。

「1986年に始まるベルルスコーニのミランは、今季(2013-2014シーズン)、28年に及ぶ歴史の中で最悪の状況に置かれている。そのシーズン途中に本田がミラン入りし、しかも10番を背負うというのは、果たして偶然なのか。それとも......」。

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