本田圭佑のメキシコでの幸運を祈る。
ミラン番記者が明かす3年半の真実 (4ページ目)
一方、ジェノアへ移ったスソは、優れた指導者であるジャンピエロ・ガスペリーニ(現アタランタ監督)のもとで、試合を経るごとに目覚ましい成長を遂げる。イタリアで生き抜くために必要なスキルを吸収し続ける23歳のスソと、すでに30歳となった並の選手。スソは半年でミランに復帰するが、翌シーズンの両者の状況に差が出ることは、あまりにも明白だった。
その2016-2017シーズン、"ようやく"本田はイタリアでの最後のシーズンを迎える。監督はまたしても代わり、新たに指揮を執ることになったのはビンツェンツォ・モンテッラだった。
本田がミラン入りした当時の監督だった、マッシミリアーノ・アッレグリは間もなく解任され、以降はクラレンス・セードルフ、フィリッポ・インザーギ、シニシャ・ミハイロビッチ、クリスティアン・ブロッキと続いた。
アッレグリとミハイロビッチを除く3者は、トップレベルでの監督経験は皆無だったと言っていい。そんな中、モンテッラはミランの監督に就任する前に、ローマやフィオレンティーナなど、セリエAで6季にわたり指揮を執っていた。まだ若いとはいえ、イタリア国内における監督としての評価は決して低くない。
そのモンテッラの、本田に対する評価は自ずと決まっていた。ジェノアで成長してミランへ戻ってきたスソが"ティトラーレ(レギュラー)"となるのは必然だった。モンテッラが、現役時代に通算230ものゴールを決めた"左利きのFW"だった事実も、本田への厳しい評価を振り返る上で押さえておくべき点だろう。
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