本田圭佑のメキシコでの幸運を祈る。
ミラン番記者が明かす3年半の真実 (2ページ目)
そして、迎えた2014-15シーズン、本田はコスタクルタの"期待"に応えるように、開幕7戦で6ゴールを記録した。「ついに実力を発揮し始めたか」とも思われたが、周知の通り、以降の本田は急激な下降線をたどっていくことになる。
確かに、ここ数年のチームの凋落は著しいが、それでもなお"ACミランの10番"が持つ意味は軽くはない。だからこそ、見る者は相応のプレーを期待する。特に、長くミラン本拠地であるサン・シーロに通うファンは、"かつての10番たち"と"目の前の10番"とのギャップに失望を募らせていった。
本田がミラノに来て3ヵ月弱が過ぎた頃、すでにして評価が地に落ちていた状況下で、私は自らの記事にこう書いていた。
「それでも、本田を信じる」
率直に言って、技術的な意味で確たる裏づけがあったわけではない。だが、他の選手とは明らかに一線を画す彼の真摯な姿勢や、高貴なまでのプロ意識を間近で見ていたからこそ、私はひとりのミラン番記者として、ひとりの熱烈なミラニスタとして"新たな10番"の奮起を心の底から期待していた。
しかし状況は厳しかった。私の取材メモにはこう記してある。
「ミランを50年にわたって見続けてきた、80歳をはるかに超えたファンのひとりは、今年(2014年)3月当時、寂しげな表情と怒気を交えながらこう語っている。『今すぐ本田はミラノを去るべきだ』『クラブ史上最低の10番』『50年目にして、私は初めてサン・シーロへ通うことをやめた』」
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