ロベルト・バッジョが難病と闘った友に送った手紙 (2ページ目)
かつてボルゴノーボが在籍したフィオレンティーナとミランの現役選手とOB選手達――グーリット、バレージ、マルディーニ、アントニョーニやロナウジーニョらが集ったその試合は、まさに「美しいサッカー」といえるものだった。
もちろんバッジョも参加した。だが両膝が壊れているため走れない彼は、試合の間中ずっとフィオレンティーナ時代の相棒だったボルゴノーボの横に寄り添っていた。もはや眼球しか動かすことのできない友の車椅子を押すのも他ならぬバッジョだった──。
2008年の親善試合でボルゴノーボの車椅子を押すバッジョ「B2」。フィレンツェの街の人たちはバッジョとボルゴノーボをこう呼び、ふたりのFWを心の底から愛している。バッジョのB、ボルゴノーボのB。両者の頭文字を足し合わせた名である。
「あの頃はバッジョよりもボルゴノーボの方が熱い声援を受けていた。二枚目だったしね。バッジョよりも女性ファンが多かったよ」と、当時を知るフィレンツェサポーターは、誰もが、まるで遠くへ行った我が子を語るように懐かしげに語る。
「B2」が輝いた88―89シーズン。バッジョ21歳。ボルゴノーボ24歳。ピッチの外でも常に一緒だったふたりは、アイコンタクトさえも必要としないほど息の合う最高のコンビだった。
そのシーズンの「B2」は29ゴールを記録(バッジョ15、ボルゴノーボ14)。中堅クラブのフィオレンティーナをUEFA杯出場権獲得にまで導いている。まさに街の人々の「夢」を実現したのが「B2」だった。このシーズン、宿敵ユベントス戦でバッジョが放ったコーナーキックにボルゴノーボがヘッドで合わせゴールを決めたが、この華麗にして豪快な決勝点をとらえた写真は、今でもフィレンツェの街の至る所に飾られている。
だが、将来を嘱望される若きふたりであったからこそ、当然のことながらビッグクラブの狙うところとなり、バッジョは90年にユベントスへ、そしてボルゴノーボは一足先に元々所有権を保持していたミランに呼び戻され、活躍の場を移していった。
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