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【Jリーグ】「日本が大好きになって」サンフレッチェ史上最長9年 ミキッチのドリブルに敵も味方も魅せられた (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【引退後は指導者の道へ】

 2017年シーズンを最後にサンフレッチェを離れると、2018年は湘南ベルマーレの一員となった。すでに38歳となっていたが、サッカーへの情熱は衰え知らずである。さらに言えば、Jリーグに、日本に、魅せられていた。

「Jリーグは年々レベルが上がっており、機能的に運営されている。サンフレッチェというチームも、広島という街も大好きだったので、契約が満了になったのはとても残念でした。でも、日本が大好きになりましたから、できるかぎり日本でプレーを続けたいと考えていました」

 ミキッチはタッチライン際を何度もアップダウンしながら、ディフェンスでもハードワークできる。曺貴裁(チョウ・キジェ)監督が作り上げた縦に速く高強度のサッカーは、彼のプレースタイルに合致するものだった。J1定着へ向かっていく成長過程のチームでは、ピッチの内外で影響力を発揮することも求められただろう。

 しかし、ベルマーレで過ごした2018年シーズンは、彼が思い描いていたものとは違った。リーグ戦の出場はわずか6試合に終わり、メンバー外で過ごす時間も長かった。オフには契約満了を告げられた。

 ピッチでその雄姿を披露する機会は限られていたが、その現実が彼のプロフェッショナリズムを際立たせた。サブのままで出番がなかったり、メンバー外だったりした翌週の練習で、ミキッチははっきりとした闘争心を見せるのだ。

「選手なら誰だって試合に出たい。けれど、誰を選んで誰を使うのか、決めるのは監督です。その決定に従うべきで、次の試合で使ってもらえるようにがんばる。

 いざ出番が来た時に、しっかり貢献できないのが、選手として一番つらいですからね。応援してくれるサポーターを、悲しませてしまうことにもなるし」

 ベルマーレ退団後も現役続行を希望したが、オファーは届かなかった。2019年4月にスパイクを脱ぐことを明らかにした。

 引退後は指導者の道を進んでいる。古巣のディナモ・ザグレブなどでコーチを務め、スロベニアのクラブでも仕事をした。

 日本のサッカーを深く理解し、日本の文化に馴染み、所属したクラブのサポーターと心を通わせたミキッチなら、どんなチームを作るのだろう。どんなスタッフを集めるのだろう。

 サンフレッチェのかつてのチームメイトとともに、ミキッチがJリーグで采配をふるったら──Jリーグを愛し、Jリーグに愛された彼のキャリアには、続きがあっていいと思うのだ。

著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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