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【Jリーグ】リトバルスキーの言葉は愛ゆえに耳が痛かった「アマチュアがいる。プロになれない選手は去れ」 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【それがプロサッカー選手の仕事】

 来日は1993年5月10日だった。2日前の8日までブンデスリーガに出場し、16日の開幕節へ間に合わせるためにやってきた。

 翌日に外国人登録を済ませ、そのまま練習場へ足を運んだ。チーム関係者は別メニューでの調整を勧めたが、リティは首を横に振る。

「同じメニューでいい。体調は問題ないし、私はプロだから」

 16日の開幕節では、背番号10を背負ってフル出場した。中2日で行なわれた翌節のヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)戦で、直接FKを決めている。

 リティのゴールで先制した直後、市原は同点に追いつかれた。その瞬間、リティは手のひらを何度も押し上げた。ヘッドダウンするな、顔を上げろ、という意思表示だ。プロフェッショナルとしてのプライドを示したシーンでもある。

「誰もが能力を持っています。けれど、持っている力をすべて発揮できない選手もいます。それはなぜか。自信がないからです。自信を持つ勇気に欠けているから、力を出しきれないのです」

 4月に33歳となっていた。スポーツ医学が成熟していなかった当時は、今よりも年齢が重みを持っていたはずである。

 しかも、草創期のJリーグは週2回の連戦で、同点なら延長戦あり、それでも決着がつかなければPK戦ありというレギュレーションだった。ピッチ外の熱狂とは対照的に、選手たちは絶えず疲労を溜めていたが、リティは全36試合のうち35試合に出場している。

「ピッチに立ってプレーをすることに、私はプライドを持っています。それがプロサッカー選手の仕事ですから」

 サッカーという仕事と向き合う時間は、「何物にも代えがたい楽しい時間」と話した。細かなステップでスルスルと相手をかわしていくドリブルは、「僕がサッカーを楽しむ最高の手段のひとつ」と笑った。

「もちろん、自分が楽しければいい、ということではありません。試合を見に来てくれた観客が、スタジアムで過ごした90分間を堪能したと思えるものでなければならない。そうなるとやはり、チームが勝つことが大事になってきます。どんなにスペクタクルな試合をしても、負けてしまったら喜びは沸き上がらないですよ」

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