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【Jリーグ】リトバルスキーの言葉は愛ゆえに耳が痛かった「アマチュアがいる。プロになれない選手は去れ」

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第30回】リトバルスキー
(ジェフユナイテッド市原、ブランメル仙台)

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第30回はピエール・リトバルスキーを取り上げる。2026年に17年ぶりのJ1に立つジェフユナイテッド市原・千葉の歴史で、このドイツ人MFは重要な役割を果たしている。実働期間は決して長くないが、プロとしてのあるべき姿を日本人選手に啓蒙していったのである。

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リトバルスキー/1960年4月16日生まれ、ドイツ・西ベルリン出身 photo by Getty Imagesリトバルスキー/1960年4月16日生まれ、ドイツ・西ベルリン出身 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 1993年のJリーグ開幕は、社会現象を巻き起こした。

 当時の雑誌をめくると、「Jリーグ説教外人(原文ママ)」なる奇妙なワードに出会う。鹿島アントラーズのジーコ、ジェフユナイテッド市原のリトバルスキーが、ピッチ上で日本人を叱責する姿が若者の共感を得ている、というのだ。「夢や目標があるから、彼らは他者に真剣に怒る。物わかりのいい日本の大人とは違う」とのことだった。

 果たして本当にそうだったのかはともかく、「リティ」ことピエール・リトバルスキーが若手選手を叱責したのは事実である。チームに合流してすぐに、若手選手へこんな言葉を投げかけた。

「このチームにはまだアマチュアがいる。プロになれない選手は去れ」

 チームメイトに厳しい態度で接したのは、それがクラブとの約束だったからである。同時に、彼自身の流儀でもあった。

「私は単に選手としてだけでなく、チームメイトの才能を引き出し、若い選手の模範となることを求められていました。同時に、私はいつも勝利に飢えています。どんな試合でも必ず勝たなければならない。そして、勝つためには自分を律しなければいけないし、チームメイトにも厳しく接する必要があります」

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著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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