【Jリーグ】セルジオ越後が振り返る「チェアマン特別賞」受賞「忖度の賞だね(笑)。でも、忘れられない日になりました」 (2ページ目)
【ラモスと木村の受賞は当然】
(一緒に受賞した)ラモス(瑠偉)と木村(和司)の受賞は当然だろう。日本リーグ時代から活躍し、Jリーグが誕生した時も、2強のヴェルディ(当時ヴェルディ川崎)と横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)の10番を背負った看板。世間の注目を浴びるなか、Jリーグを引っ張った。ふたりとも昔からよく知る仲なので、僕もうれしいし、おめでとうと言いたい。
ラモスとはいろいろあった。昔は日本でプレーするブラジル人同士で助け合っていて、オフの日にみんなでボールを蹴って遊ぶほど仲がよかった。ケガや病気をしたらどこのお医者さんがいいといった生活の情報を共有したり、チームとの契約交渉時のアドバイスをしたりすることもあった。チームから減俸を提示された彼に「今は我慢しろ」と言ったこともある。あの時、日本に残って大正解だったよね(笑)。
木村とは一緒にプレーしたことはないんだけど、彼が高校(広島工業)時代に、僕がコーチを務めていた実業団と練習試合をしたのが最初の出会い。彼と1学年上の金田喜稔(元日本代表MF)は、僕のチームの選手よりうまかった(笑)。木村もその時のことを覚えていて、「(実業団の)選手よりもセルジオさんのほうがうまかったね」と言われた。
アウォーズを観にきた若いサポーターは、僕らを見てもピンとこなかったと思うけど、オールドファンは喜んでくれたみたいで、それもよかった。
今季のJリーグはシーズン移行にともない、半年間の変則開催となる「百年構想リーグ」がもうすぐ開幕する。そして、8月には秋春制のリーグが始まる。次から次へと課題はたくさん出てくるけど、期待して観続けたい。
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著者プロフィール

セルジオ越後 (せるじお・えちご)
サッカー評論家。1945年生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。17歳の時に名門コリンチャンスのテストに合格し、18歳の時にプロ契約を結び、MF、FWとして活躍した。「エラシコ」と呼ばれるフェイントを発案し、ブラジル代表の背番号10を背負った同僚のリベリーノに教えたことでも有名。1972年に日本リーグの藤和不動産(湘南ベルマーレの前身)から誘いを受け、27歳で来日。1978年から日本サッカー協会公認の「さわやかサッカー教室」で全国を回り、開催1000回以上、のべ60万人以上を指導した。H.C.日光アイスバックスのシニアディレクター。日本アンプティサッカー協会最高顧問。公式ホームページ【http://www.sergio-echigo.com】
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