【Jリーグ】佐藤寿人は森保監督の言葉で原点を見つめ直した「ストライカーの責任から逃げていた」 (5ページ目)
【テレビCMでみんなの目線が揃った】
はっきりと優勝を意識したきっかけは、当時、Jリーグを放送していたスカパー!のCMです。
優勝争いが佳境を迎えるなか、「ユニフォームに星をつける!」というコピーのCMを、選手とサポーターが一緒になって作ったんです。
僕らにも当然、タイトルという想いはあったんですけど、当時の僕らが思い描いていたタイトルは、カップ戦のタイトルなんですよ。リーグを獲れるなんて思ってもいなかったですから。
でも、自分たちがその言葉を発することで、みんなで意識を共有できた。どこを目指すのかといえば、もうそこしかない。千載一遇のこのチャンスをモノにするしかないという思いが自然と生まれていきました。
僕らが自発的にやったことではなかったですけど、外からそういう場を作っていただいて、言葉にすることができた。やっぱり、言葉にすることは大事なんですよ。「ああ、今の僕らなら、その言葉を発してもいいんだな」って。あのCMを作ったことで、みんなの目線が揃ったし、目標設定が変わっていったんです。
(つづく)
◆佐藤寿人・後編>>「なにくそ」の思いを糧に、地方クラブのハンデを乗り越えた
【profile】
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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