【Jリーグ】佐藤寿人は「なにくそ」の思いを糧に「広島にあるかぎり優勝は無理」という地方のハンデを乗り越えた
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【新連載】Jリーグ語り草(2)
佐藤寿人の2012年
「就任1年目で初優勝。新人監督・森保一の手腕」後編
◆佐藤寿人・前編>>「ルーキー監督」森保一が降格候補チームをJ1優勝へ導いた手腕
◆佐藤寿人・中編>>「ストライカーの原点」を見つめ直すことができた森保監督の言葉
ついにリーグ優勝が現実的な目標となったなか、セレッソ大阪との決戦を前に、サンフレッチェ広島のエースは人知れず重圧に苛(さいな)まれていたという。それでも自らのゴールなどでセレッソに快勝を収め、悲願の優勝を成し遂げている。
優勝経験者がほとんどおらず、財政的にも厳しかった地方のクラブはなぜ、歓喜の瞬間を迎えることができたのか。
佐藤寿人が栄光のシーズンを振り返るとともに、あれから13年が経ち、あの初優勝が広島にもたらした価値についても語った。
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優勝を決めた佐藤寿人はピッチで涙を浮かべた photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る シーズン終盤の28節から3試合勝ちなしと苦しみましたが、31節の札幌戦に快勝を収め、次の相手は開幕戦で勝利した浦和でした。でも、内容的にまったくダメで、僕も決めるチャンスがあったのに決められずに、0-2で敗れてしまいました。ああ、これが優勝争いのプレッシャーなのかなって、その時に初めて感じましたね。
ただ、僕らが負けて2位に落ちたと思ったら、仙台も負けたんです。これはまだ、僕らに風が吹いているんだなって、いい意味で開き直ることができました。
浦和戦のことを忘れて、次のセレッソ戦に切り替えようと。次に勝って、仙台が負ければ、優勝が決まる状況でしたけど、仙台の相手は残留争いをしていた新潟だったので、負けることはないだろうと。だから、勝つことだけを考えて、セレッソ戦に臨みました。
一方で、浦和戦のあとの1週間は、これまでに感じたことのない重圧に苛まれていました。外に出ても「次、勝てば、優勝ですね」とか「絶対にがんばってください」と声をかけられるんですけど、それがプレッシャーになって、「優勝を逃したらどうしよう」というネガティブな思いが湧いてきてしまったんです。
ここまで積み重ねてきたことが無になるかもしれないと考えたら、生きた心地がしなかったですね。残留争いよりも、入れ替え戦の時よりも怖さはありました。
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。





