柏木陽介が語る引退の経緯、浦和での規律違反...「5年前くらいから(サッカーが)楽しいって感覚がなくなっていた」 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

――J3でプレーしている時に、もう一度J1に戻りたい、つまり、J1のクラブに移籍したいという気持ちにはなりませんでしたか。

「それは思いましたね、正直。一度(J1を)経験している選手からしたら普通のことかな、とは思うし。(J1の)試合を見ていて、自分のほうが上だって思ったこともあるし、見ているだけだったら、自分もできるなと思ってしまうから」

――でも、簡単ではなかった。

「そんな話もなかったですしね。でも、だからここにいたわけじゃないし、(岐阜の)水が合っていたというのは正直ある。自分の置かれている状況が充実していたから、というのはありました」

――だから、納得して引退も決断できた。

「そうですね。このカテゴリーを知ったからこそ気づいたこともあるし、だから言えることもあるから」

――現役引退を決めるにあたり、家族に相談はしたのですか。

「奥さんには相談しましたけど、『あなたが決めたことなら』という感じでしたね。『アキレス腱をきった時に、たぶん引退かなって何となく思っていた』みたいな話もしていましたし。でも、オカンだけは、たぶん現実を受け入れられてなかったみたい(苦笑)」

――お母さんは、まだプレーしてほしかったんですね。

「『なんで、やめんの?』って感じでした。でも、そこは何を言われても関係ないというか。もし奥さんや子どもがやってほしいって言ったら、少しは考えたかもしれないけどね(笑)。

 僕自身としては納得の引退です」

(つづく)◆柏木陽介が振り返るサッカー人生>>

柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日生まれ。兵庫県出身。サンフレッチェ広島ユースから2006年にトップチームに昇格。同年6月、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任して以降、レギュラーに定着した。2010年に浦和レッズに完全移籍。長年、チームの中心選手として活躍したが、2021シーズン開幕前にチームの規律違反によって退団。J3のFC岐阜に移籍し、2023シーズンを最後に現役から退いた。世代別の代表でも活躍し、2007年U-20W杯に出場。その後、A代表にも選出された。国際Aマッチ出場11試合、0得点。

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