中村憲剛&佐藤寿人の日本代表「世代交代論」 ザッケローニ時代「このままフェードアウトさせるつもりなのかと」 (3ページ目)
そこで無理したことで、ケガをして離脱。春先から6月くらいまで復帰と離脱を繰り返してちゃんとサッカーができていませんでした。そのタイミングで泰斗が出てきて、結果を出してチームを勝たせていたんです。
僕が夏くらいに戻ったあとは泰斗と併用される感じで、優勝したルヴァンの決勝もスタメンは泰斗だったんです。その時に初めて、「スタートから試合に出られないのはこういうことか」という危機感を感じましたね。
もともと次の年(2020年)に引退すると決めていたので、ここからどうやって引退するのかなと思っていたら、ルヴァンで優勝したその次の試合で前十字じん帯を切ってしまった。これは治して、復活して、引退だなという道筋ができたわけです。
── 2020年の復帰後も、スタメン出場は多かったですよね。
憲剛 2020年は8月に復帰したんですけど、コロナ禍の中断期間があったので、試合数がかなり残っていたんですよ。通常のシーズンの日程だったら、あの復帰のタイミングだと試合が半分も残っていなかったですから。
それに、あの年は過密日程になったので、誰がレギュラーというよりも、その時に出る選手がベストという感じではありましたね。もちろん、何人かキーになる選手はいましたけど、取って代われるクラスの選手が、あの年はゴロゴロいましたから。今見ると、なかなかなメンバーで(笑)。
寿人 でも、ジェフは中断期間にやった練習試合でフロンターレに勝ちましたよ。
憲剛 え、いつ? 俺いた?
寿人 リハビリでした。その時に「フロンターレ、全然、強くないじゃん」と思ったんですよ。でも、シーズンが再開したら「なに、このチーム。やばいな」と(笑)。あの時ジェフは、中断期間に鹿島にも勝ったんですよ。でも、シーズンが再開したら全然勝てないという(笑)。
── 日本代表にも世代交代の波が押し寄せていますよね。
寿人 結局は監督なんですよ。すべての権限があるわけですから、世代交代を監督がどう考えるかによって、変わってくると思います。
3 / 5