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横浜F・マリノスには「立ち返る場所があった」。水沼宏太が振り返る優勝までの軌跡 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • phot by Etsuo Hara/Getty Images

【父からかけられた言葉】

 栃木、鳥栖、FC東京、セレッソ......助けてくれた人たちとの出会いのおかげですね。それぞれのチームでもらえたものがあって、もし行ってなかったら、今の自分に還元できていなかったはずです。神戸戦後、あそこまで泣いたのは、その感謝の気持ちがバァーって込み上げてきたからで、初めてのことでした」

――誰かに触れられるたび、泣いていました。

「あらゆるところにあのシーンが出てくるので、もうやめてくれって(笑)」

――シーズンを戦うなか、苦しさは?

「なんだかんだ、楽しかったです。苦しく感じた時はなかったですね。2連敗しなかったら、W杯代表入りとか、違っていたこともあったかもしれないけど、おかげで最後に込みあげてきた感情は大きかったし......」

――優勝し、王者F・マリノスの遺伝子は感じましたか?

「自分は生え抜きで、確かにジュニアユース、ユースを経験していますけど、単純に"小さい頃から見ていた憧れの強いチーム"という感じなんです。中学のとき、2連覇した姿をスタジアムで見ながら、このチームに入りたい、プレーしたいって感じた。大好きだったあのチームで優勝できたのが喜びだし、ずっと"F・マリノスは強くなきゃいけない"とは思っていました」

――父である貴史さんは、横浜(前身の日産自動車)のスター選手でした。

「父さんがいたから見始めました。マリノス、かっこいいなって。当時、小学校ではフリューゲルス派、マリノス派があって前者も多かったんですけど、自分はずっと『マリノスが大好き』と」

――今回、貴史さんからは声をかけられましたか?

「父さんからは、『おめでとう、よかったね』とだけ言われました。ああだった、こうだったという話はしていませんが、でも、それは父さんらしくて。今までも意見を言われたことはないし、代表に入った時もそうでした。離れずに見守ってくれるからこそ、自由にやってこられたんだと思います。記事では、めちゃくちゃ泣いていたって読みましたけど(笑)」
(つづく)

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