Jリーグ30年のベストイレブンは誰か? 長年ピッチを取材してきたベテランジャーナリストたちが選んだ11人 (5ページ目)

【試合全体を支配したラモス瑠偉は格別】

西部謙司(サッカーライター)

この記事に関連する写真を見るFW/三笘薫、大久保嘉人、三浦知良 
MF/ラモス瑠偉、中村俊輔 
MF/名波浩、遠藤保仁 
DF/田中マルクス闘莉王、井原正巳、秋田豊 
GK/川口能活

 30年間のベストイレブンとなると選考はなかなか難しい。瞬間風速的にはオルンガ、アラウージョ、パトリック・エムボマ、フランサ、レオナルドなども凄かったけれども、長期間プレーしてJリーグの発展に貢献した選手を中心に選出することにした。

 GKは横浜マリノスの初優勝に貢献した川口能活。すばらしいシュートストップを見せ、ゾーンに入った時は神がかっていた。全然力みがなくて、スッと反応できるところが天才的だった。同時代のライバルだった楢﨑正剛、初期のJでPKストッパーとして活躍したシジマールも印象的だった。

 DFは3バックで、中央には1対1の強さと読みが抜群だった井原正巳。左右には空中戦に無類の強さを示した秋田豊と、田中マルクス闘莉王を置く。ヘディングと言えば中澤佑二も強力。広いスペースをカバーしたチアゴ・マルチンスもよかった。

 MFは多士済々で選出が難しかったが、初期のJリーグで円熟したゲームメークと試合全体を支配するキャラクターの強さで、ラモス瑠偉は格別の選手だ。また長く活躍した中村俊輔と遠藤保仁は技術レベルの高さ、戦術眼の確かさで外すわけにはいかなかった。名波浩は全盛期のジュビロ磐田の中心選手として印象深い。技術レベルで言えば小野伸二、松井大輔、中村憲剛、小笠原満男などポジション的に最も人材が多い。

 FWはJリーグブームを牽引した三浦知良、最多得点者の大久保嘉人は外せない。三笘薫のプレー年数は短いが、左サイドでの無双ぶりは格別だったので選出した。ジュニーニョやエメルソンのスピードは強烈だった。初期のラモン・ディアスのシュート技術も出色。FWもスター選手の宝庫だったが、全盛期が比較的短いケースが多い。ドラガン・ストイコビッチは選出されるべきかもしれないが、MFかFWか微妙なので外してしまった。

【著者プロフィール】
杉山茂樹(すぎやま・しげき)
スポーツライター。静岡県出身。得意分野はサッカーでW杯取材は2022年カタール大会で11回連続。五輪も夏冬併せ9度取材。著書に『ドーハ以後』(文藝春秋)、『4-2-3-1』『バルサ対マンU』(光文社)、『3-4-3』(集英社)、『日本サッカー偏差値52』(じっぴコンパクト新書)、『「負け」に向き合う勇気』(星海社新書)、『監督図鑑』(廣済堂出版)、『36.4%のゴールはサイドから生まれる』(実業之日本社)など多数。

後藤健生(ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)
、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

六川則夫(ろくかわ・のりお)
1951年、東京都板橋区生まれ。早稲田大学校卒業後、ムービーの世界で撮影助手となる。1979年日本で開催されたワールドユースでマラドーナに心酔し、1982年のスペインW杯を皮切りに,2022年のカタールW杯まで、スチールカメラマンとしてフルカバー。気が付けばワールドカップ取材歴11回を数える。

国吉好弘(くによし・よしひろ)
1954年生まれ、東京都出身。ベースボール・マガジン社入社、月刊→週刊「サッカーマガジン」副編集長、月刊「ワールドサッカーマガジン」編集長、両誌スーパーバイザー等歴任。退社後フリーランスとして活動。著書に「サッカーマルチ大事典」、「日本サッカー、ユース代表の誇り」、「ワールドカップクロニクル」(いずれもベースボール・マガジン社)等。

西部謙司(にしべ・けんじ)
1962年、東京生まれ。サッカー専門誌「ストライカー」の編集記者を経て2002年からウリーランスに。「戦術リストランテ」「Jリーグ新戦術レポート」などシリーズ化している著作のほか、「サッカー 止める蹴る解剖図鑑」(風間八宏著)などの構成も手掛ける。ジェフユナイテッド千葉を追った「犬の生活」、「Jリーグ戦術ラボ」のWEB連載を継続中。

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