柏木陽介が浦和を去ることになった「1年前のルール破り」を語る。まさか本当に必要とされなくなるとは... (3ページ目)
浦和愛は今でも抜けない
そんな甘い考えは通用するわけがなかった。柏木が浦和から告げられたのは、移籍という現実だった。
「正直、現実味がなさすぎて、実感が湧きませんでした。もちろんショックだったし、取り返しのつかないことをしてしまった自分を責めることしかできませんでした。
家族だったり、自分のことをサポートしてくれているたくさんの人たちを苦しめる形になってしまったことも本当に申し訳なくて......。あまりにもショックが大きくて、現実のこととして受け入れられなかったですね」
ようやく、現実と感じられたのは、チームにお別れの挨拶をする時だったという。
「その時はほとんどしゃべれないくらい感情が湧き出てしまって。ああ、俺、本当に移籍するんだなって......」
強すぎる愛を捧げながら、浦和で過ごした11年と1カ月。最悪の去り際になったとはいえ、柏木にとってはかけがえのない時間だった。
「浦和に来てよかったと思っているし、浦和愛は今でも抜けないですね。サッカー選手としても、人間的にも育ててもらったと思っています。厳しい環境に身を置き、たくさんのうまい人とプレーすることで成長できた。
サポーターからの厳しい声もありましたけど、それも含めて自分を強くしてくれたと思っています。あれだけの環境のなかでやれた喜びを、それができなくなった今、あらためて感じているところです」
後悔があったとすれば、浦和にリーグタイトルをもたらせなかったことだ。
「ほかのタイトルは獲ったけど、リーグ優勝はできませんでしたから。年間勝ち点1位を獲っても優勝できなかった年もありました。そのあたりの勝負弱さも含めて、リーグを獲れなかったことが唯一の心残り。うれしかったことはたくさんあったから、獲れなかった悔しさが一番大きいですね」
「浦和の太陽」と呼ばれ、サポーターから愛された選手だった。
「愛されていたかわからないですけど、岐阜に行っても応援するという声をもらえたのは、うれしかったですね。浦和が苦しい時期(残留争い)も経験しましたし、そこからまたタイトルを獲れるチームになっていく過程で少しでも貢献できたことは、自分でも誇れる部分だと思います」
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