12年間一緒。中村憲剛のアドバイス力に登里享平が最も感銘を受けた点 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

◆中村憲剛・独占インタビュー。「引退発表した今だから話せること」>>

 川崎にとって中村はピッチ内外で、あまりに大きな存在なだけに、彼がいなくなったあとのチームを危惧する声もある。ただ、選手たちが自ら考え、プレーの答えに辿り着いていたこと、アドバイスの仕方に至るまで後輩たちに継承されていることを聞けば、そんな不安は払拭されるはずだ。

「僕らが抱く先輩像が憲剛さんというのがあるので、そこはもう、自然と循環していくでしょう。長くいればいるほど、いろいろな選手に受け継がれていきますし、そこはもう、途絶えないと思います。自分もこれからキャリアを重ねていくごとに難しい時期もあるかもしれないですけど、同年代とも、若手ともサッカーやプレーについて話し合える環境になっている。

 本当にいい集団になっていると思いますよ。それはサッカーの部分だけじゃなく。『プロサッカー選手は、サッカーをするだけじゃない』というのは、憲剛さんがいつも言っていましたからね。ファン・サポーターを楽しませてこそ、川崎フロンターレだと思います」

 チームに欠かせない左SBであるとともに、今季の「ゲッツ」やプロレスラー中邑真輔の入場パフォーマンスを模した昨季の「イヤァオ」など、恒例となった中村のゴールパフォーマンスを考案してきたプロデューサー・登里だからこその言葉だった。

 中村から引退を告げられたその日、登里はこう告げられていた。

「お前もいるし、今後のフロンターレは大丈夫だよ。何も心配していない」

 選手として、クラブを担っていくひとりとして認められていたことがうれしかった。だから視線を合わせてしまえば、思いがこぼれてしまいそうだった。

「きっと、本人は自分のためになんて思わなくていいって言うと思うんですけど、ずっと先頭に立ってクラブを引っ張ってきた、チームの顔であり、フロンターレの象徴でもある選手。だから、最後に天皇杯を掲げてもらって送り出したい。それが自分としても、クラブとしても、感謝を伝えるいちばんの手段になる」

 あの日、堪えた涙は、ほんの少しばかりお預けだ。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る