オリジナル10で最も優勝が遠い...。
清水エスパルスはなぜ優勝できないのか (3ページ目)
2005年に初優勝を成し遂げたガンバ大阪は、西野朗監督が長年にわたって築いた攻撃スタイルと、強力なブラジル人の存在があった。2006年の浦和レッズは強烈なタレント軍団が、求心力の高い指揮官のもとでひとつにまとまった。
2010年の名古屋グランパスはカリスマ監督によって、継続的なチーム作りが実を結んだ。2011年の柏レイソルは、名将がJ2時代に蒔いた若手の種が劇的な成長を遂げ、質の高いブラジル人選手と上手く融合した。
2010年代をリードしたサンフレッチェ広島と川崎フロンターレは、似た道を歩んでいるかもしれない。独創性の高い前任者のロマンを引き継いだ後任が、スタイルを継承しながらも現実的なエッセンスを加え、勝てるチームへと仕立て上げている。
むろん、継続性という意味ではエスパルスにもあった。前述のアルディレス→ペリマン時代、そして長谷川健太監督が指揮を執った時代である。そのいずれもで、一定の成績を得ることができていた。ただし、足りなかったのは個の力だったかもしれない。強烈な個性があれば、タイトル奪取を実現できていた可能性は高い。
2002年の高原直泰、2005年のアラウージョ、2006年のワシントン、2008年のマルキーニョス、2010年のケネディ、2012年の佐藤寿人、2017年の小林悠、2019年の仲川輝人とマルコス・ジュニオール。とりわけ近年は、優勝チームから得点王が生まれるケースが増えている。
果たしてエスパルスの歴史を振り返った時、圧倒的なストライカーは存在しただろうか。実は、エスパルスはオリジナル10のなかで唯一、得点王を輩出していないクラブでもあるのだ。
継続性とタレント力。この両輪を走らせることが優勝の条件のひとつとなる。そこにもうひとつ加えるなら、育成力になるだろう。
黄金時代のアントラーズやジュビロには生え抜きの選手が多かったし、補強優先と思われたレッズでも、長谷部誠や鈴木啓太、坪井慶介、田中達也ら自前の選手が主軸に育っていた。ガンバには宮本恒靖、大黒将志、二川孝広、橋本英郎らユース出身者が各ポジションに君臨し、3連覇時代のアントラーズにも内田篤人や岩政大樹、イタリアから復帰した小笠原満男の存在が大きかった。
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