元名古屋トーレスの変わらぬ日本愛。「縁の下の力持ちとして支えたい」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 ところで私はトーレスに、まだ誰もしたことのない質問をしてみた。

 彼はひとりのプロ選手として立派にその名を残した。しかし、彼の父親カルロス・アウベルトが、ブラジル代表のキャプテンを務めた世界有数の選手であったこと、W杯の歴史に残るすばらしいゴールのひとつ(1970年メキシコW杯の決勝イタリア戦での4ゴール目)を決めたことは誰も忘れない。偉大な父に持ちながら、自分はサッカーの世界ではメジャーとは言えない日本でプレーしていたことを、彼自身はどう感じていたのだろうか?

「私は何度も父に、日本に来るように誘ったんだ。父は長身なので、狭い飛行機の座席が嫌いだったし、ブラジルから日本への道のりは長い。だが、ついにそれは実現した。1年目のシーズンの終わりに、父は日本にやって来た。彼は1カ月間私の家に滞在し、その間に私の試合を2試合観戦し、練習にも来た。いくつかのアドバイスも与えてくれた。父もまた日本のサッカーの組織力のすごさ、成長の著しさ、そして何よりそのスピードに驚いていたよ」

 カルロス・アウベルトが近くにいることはトーレス自身のプレーにもプラスに働いたようだ。

「父が名古屋の家にいることで私は落ち着いてプレーすることができた。父が傍らにいることは私にとって大事なことだった」

 伝説的DFもまたこの日本滞在を楽しんだようである。

「父はなによりゆっくりと外を歩けることに感動していた。ブラジルでは絶対に不可能なことだ。自転車に乗ったり、買い物をしたり、父が普通の生活を楽しんでいるのを見て、私もうれしかった。

 父と私が一緒に歩いていると、時には人が立ち止まり私たちの方に向かってくることもあったが、彼らがサインを求めるのは、父ではなく私だった。これには思わず2人で顔を見合わせて笑ってしまったよ。日本では私の方が父より有名人だった。これは我々親子にとって新鮮な体験だった。

 日本では私が案内できるのもうれしかったね。もちろんチームのみんなが助けあってのことだが。日本で父と過ごした日々は私にとってかけがえのないものとなった。父が帰った後は、より落ち着いて、試合に集中しチームを助けることができたと思う」

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