元名古屋トーレスの変わらぬ日本愛。
「縁の下の力持ちとして支えたい」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 アーセン・ベンゲルの目に留まり、1995年にヴァスコ・ダ・ガマから名古屋グランパス入りしたトーレス。日本でプレーした5年間はいいことづくめだったが、1年目だけは少々難しかったという。

「たぶん日本で一番苦しかったのは、1年目にケガをした時だ。チームは昇り調子で、私はベンゲルの構想の中心にあり、多くの勝利を挙げていた。私は自分に自信を持っており、ボールが足元にある時に強い力を感じていた。しかし、私はケガをし、プレーを続けられなくなった。もしあの時、故障していなかったら、優勝できたと私は固く信じている」

 彼が人生で最も幸せを感じた瞬間も、日本でのことだった。

「私の一番下の息子は日本で誕生した。彼が生まれたその週に、私は息子とグランパスサポーターにゴールをプレゼントすることができた。私の人生の中でも忘れることのできない特別なゴールだった」

名古屋グランパスで5シーズンを過ごしたトーレス photo by Yamazoe Toshio名古屋グランパスで5シーズンを過ごしたトーレス photo by Yamazoe Toshio 一方、日本滞在の5年間で最も印象に残っているのは、彼が名古屋を去る時だったという。

「ブラジルに帰ることを決めた時、みんなが私との別れを悲しんでくれた。チームも、サポーターも、そして私自身も。ブラジルに郷愁は感じながらも、私の魂は名古屋とともにあった。そしてそれは今も変わらない。日本での最後の日のことを、私はまるで昨日のことのように覚えている。

 私はブラジルに帰るために空港に向かい、建物の中に入った途端、目を見張った。そこには何百人という人々が、私を見送るために集まってきてくれていた。サポーターだけではない。チーム幹部、スタッフ、10人近くのチームメイト、そしてなんと会長までも、私に別れを言うために来てくれていた。

 思いもよらないことで、とてつもなく大きなサプライズだった。今でもあの時の感動は忘れられない。これほどの感激を味わったサッカー選手はそうはいないと思う。日本はなんてすばらしい国なんだとあらためて思ったよ」

 トーレスは、リーグ優勝はできなかったものの、日本で3つのタイトルを勝ち取っている2度の天皇杯とスーパーカップだ。

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