2020.08.28

ベンゲルが連れてきた名古屋の「塔」。
父は偉大なセレソン主将だった

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 アレクシャンドレ・トーレスの本当の名前はカルロス・アレクシャンドレ・トーレスという。しかし、どのように呼ぼうとも、彼の名前がサッカー界で重みを持っていることには変わらない。

 トーレスとはポルトガル語で「塔」という意味。まさに彼がピッチでやってきた役割である。どこの国のどのチームでプレーしようが、彼は守備を率いる「塔」だった。

 現在53歳の彼は、偉大なキャプテンの血を継ぐ者である。彼の父はかのカルロス・アウベルト・トーレス。60年代から70年代にかけてのブラジルの王様といえば、誰もがペレと答えるだろう。しかし、サントスでもブラジル代表でも、真のリーダーはこのカルロス・アウベルトだった。彼のプロフッショナリズムはそのまま息子へと受け継がれた。

 ただし、父の名前で有名になった選手は数多いが、トーレスはそれらの選手とは一線を画す。彼が常にレギュラーの座を失わなかったのは、純粋に彼が優秀だったから、本物のチャンピオンだったからである。

 カルロス・アウベルトが息子を助けたのはたった一度だけ、13歳のアレクシャンドレ少年を古巣のフルミネンセに紹介した時だ。だが、父の口利きがなくてもトーレスはチームに合格していただろう。その証拠に1985年、19歳の年にはトップチームに昇格、仲間の少年たちの誰よりも優秀で、背も高かった。ポジションは父と同じDF。エレガントなボールタッチも父親譲りだった。

 1991年、彼はヴァスコ・ダ・ガマに移籍し、ここで多くのタイトルを勝ち取る。ブラジルサッカー史に残るCBコンビをリカルド・ロシャと結成。翌92年からは3年連続してリオ州リーグ優勝。トーレスは常に中心選手としてプレーした。

1995年、名古屋グランパスに加入したトーレス photo by Yamazoe Toshio これまで紹介してきたJリーグ経験のあるブラジル人選手と、彼が大いに異なる点は、その17年のキャリアの中で、たった3チームでしかプレーしていないことである。フルミネンセで6年プレーした後、同じくリオのヴァスコ・ダ・ガマへ。ここでは3年間のうちに5つのタイトルを勝ち取る。