鹿島から獲得話があった当時、昌子源は「ダブル浩二」を知らなかった (6ページ目)
――1年目はリーグ戦にも出られませんでした。試合に出たいという欲と上手くなりたいという欲。どちらが強かったですか?
「今、自分が試合に出るようになってから思うのは、試合に出たいと思ってやっていたら、試合には出られないということです。自分に足りないところやいろんなことを感じて、それを埋めるような時間を過ごして、プロ選手としての土台を作らないと、たとえ試合に出られたとしても、成長できないと思うんです。僕はその準備を経て、試合に出られるようになったんですが、それでも完成されて出たわけじゃない。未熟のまま試合に出て、完成形に近づいている最中です。試合で経験を積むなかで、試合に出られなかった時間は本当に重要だったなと感じています」
――2年目の2012年、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の決勝戦では先発しました。
「直前のリーグ戦までイバ(新井場徹)さんがずっと先発でしたが、当時のジョルジーニョ監督が、『ナビスコの決勝は昌子で行く』と宣言して。チームメイトもみんな驚いてました。ミーティング会場がザワザワしていたことは今でも覚えています。イバさんの代わりというのはサイドバックでプレーするということ。今までやったことのないポジションでしたが、思い悩む余裕もなかった。決勝の相手は清水エスパルスで、相手の右(FW)は大前(元紀)選手でした。監督からは『大前が水を飲むならお前もいっしょに飲め』と。とにかくマンツーマンでしっかり守れということ。必死でその任務を遂行するだけでした」
――大前選手に決められた得点はPKのみ。途中交代で試合終了時にはピッチに立っていませんでしたが、延長で勝利しました。
「僕と交代したイバさんが持ち味とする攻めのプレーで、試合の流れを引き寄せたんです。監督から『大前はお前のことを嫌がって、外ではなく、中でプレーするようになったな』と言ってもらえました。勝利の瞬間はベンチで迎えましたが、自分の仕事はまっとうできたという実感は強くて、本当に嬉しかったですね。サポーターに認められたなと感じることもできました。きっとサポーターにとっても、『昌子って誰だ』という感じだったと思うけれど(笑)」
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