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鹿島から獲得話があった当時、昌子源は「ダブル浩二」を知らなかった (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

「誰になんて言われようが、鹿島の3番というのは揺るいでない。どんな試合でも俺が支えるという強い気持ちを持ってやってきたから」

 10月24日ACL準決勝対水原三星戦後、昌子源の口から自然と「鹿島の3番」という言葉が出た。長いリハビリを経て、試合復帰してからまだ直前の1試合しか実戦を積めていない。試合勘に不安を残しながら立った大舞台では、短時間で3連続失点。その後同点に追いつき、準決勝は突破できた。その安堵感と共に、2失点に絡んだという事実を噛みしめていた。だからこそ、胸を張ったのだ。

「鹿島の3番」としてチームを引っ張る昌子源「鹿島の3番」としてチームを引っ張る昌子源

「失点に絡んで、いろんなことが甦ってきた。ここでチームに迷惑をかけたぶん、絶対に俺は決勝で、チームを救う。(岩政)大樹さんに変わって3番をもらい、鹿島のディフェンスを支えてきたのは自分だと言い聞かせてきた。ACL決勝は3番の覚悟を見せられる舞台。その魂を持って挑みたい」

 秋田豊から始まった「鹿島アントラーズの背番号3」の系譜。2015シーズンからその番号を背負った昌子のエピソードゼロ。

――中学時代はガンバ大阪のジュニアユースに所属。Jリーガーというのはそのころからの夢だったのでしょうか?

「あんまり考えたことはなかったですね。確かに小学生のころの夢は"プロサッカー選手"ではあったけれど、現実味もないし、具体的に考えてはいませんでした。ただの夢でしかなかった」

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