リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で
号泣。「あのとき覚悟が決まった」 (5ページ目)
「はい。この仕事に就いた後に、サッカー選手という仕事の苦しさを知ったんです。本当に苦しくて、20代でプロになって、これは絶対30歳までは続けられないなと感じました。パッとやめてしまおうって。ちょっと輝いて、すぐにやめよう。だから、一度輝くまでは続けるという覚悟を決めたんです。3連覇してすぐにやめようと思っていたのに、外(海外)でやりたいなとなり、その後もいろいろと声をかけていただいて、頑張りながら、今に至るわけですが、鹿島では本当にそういう苦しさと戦った10年間でしたね。
鹿島というレベルの高い環境で、約9年間先発から一度も外されなかったというのは、誇りではあるけれど、毎週毎週、外されるんじゃないか、次は負けるんじゃないかと思いながらプレーしていました。僕の性格上、仕方のないことですが、ずっとそのプレッシャーと戦う毎日だったので。
でも、やっぱりそういう苦しいことをやったから、気づいたことがたくさんあり、いろんなことを乗り越えたからこその確信が自分のなかに芽生えている。学んだことも数多くあります。それが、今の自分の仕事への説得力に繋がっているし、当然、自分の礎(いしずえ)にもなっている。
鹿島での10年間が、これから生きていくうえで自分を支えてくれるものだと感じています。それくらい、あの10年間で僕は大きく変われたから。今、どんな仕事をしていても、鹿島で味わったような苦しい感覚がなくて、楽しさを感じられる。それは鹿島での10年間が僕を支えてくれているからだと思います」
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